新店舗への建て替え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:48 UTC 版)
「阪急百貨店うめだ本店」の記事における「新店舗への建て替え」の解説
JR大阪駅ビルのJR大阪三越伊勢丹とルクアの開業や、大丸大阪梅田店の大規模増床計画に触発され、大阪市内の百貨店の売場面積が約3年間で約1.5倍に増大する百貨店の増床競争に対応して、旧店舗を2期に分けて解体して全面的に建て替えることになり、2005年(平成17年)8月16日に解体工事を着工して初日から3日間休業して売場を北側に移し、8月19日から営業を再開した。 改装工事に入って売場面積が43,000m2に減少した。しかし、その後の2006年(平成18年)3月期下期の減収幅が予想値の28%減よりも小さい12%減に留まり、2008年(平成20年)度も売上高約1728.87億円を上げ、日経MJの百貨店店舗別売上高ランキングで全国第3位、大阪で第1位となるなど、強い競争力を保った。 地下に過去の建造物が残っているにも関らず、建設当時の図面が完全な形で保存されていないため正確な構造が把握できない上、周辺のビル・地下鉄・地下街も考慮しつつ百貨店の営業を継続しながら半分ずつ解体・建設するという難工事であった。そのため、工事の進捗は当初の予定よりも大幅に遅れ、2009年(平成21年)9月3日に南側部分の第1期棟が売場面積約27,000m2で開業した。この新店舗第1期棟での営業開始に伴い、売場面積が約27,000m2へと大幅に減少したため、海外高級ブランド品の売場面積を20%以上減らしたにもかかわらず、売上高は前年比10%以上伸ばすなど、高級路線を維持している。 第1期棟百貨店部分の営業開始を受けて、北側部分である第2期棟部分の解体工事に入った。しかし、第2期の建替え工事に伴う売場減少の影響は大きく、2010年(平成22年)3月期の売上高は前年比9%減を記録した。これは日本経済新聞社の2010年度百貨店調査の調査対象226店で最大の落ち込みとなり、同年3月期に売上高約1440.75億円、2011年(平成23年)3月期に売上高約1310.87億円、2012年(平成24年)3月期に前期比5.1%減の売上高約1244.58億円にまで落ち込んだ(ただしリニューアル開業後の2013年(平成25年)3月期には前年比16.1%増の売上高約1446.98億円、2014年(平成26年)3月期には前年比32.8%増の売上高約1922.14億円、さらに2015年(平成27年)3月期には2.9%増の1978.39億円にまで大きく伸ばしている)。 またこの第2期工事に伴い、JR大阪駅と阪急梅田駅を結ぶ屋内通路も閉鎖された。当百貨店のすぐ北側にある飲食店街「新梅田食道街」の幅約3mの通路が迂回ルートになったが、通行量は屋内通路閉鎖前の約10倍相当に当たる1日約1万人超に急増した。朝夕ラッシュ時には信号待ちが重なると通路の中程まで動かなくなるほど混雑するようになり、売上が減少する店が出た。その一方で、閉鎖された通路から東側に繋がっていた阪急東通商店街は通行量が平日1日約8000人から5000 - 6000人に減少して、売り上げが20 - 30%減少するなど、周辺の店舗にも大きな影響を与えることになった。 第2期の工事も難航したため、2011年(平成23年)4月22日に3度目の全面開業時期の延期が報道される状況になり、2012年(平成24年)4月17日、当初の予定から約1年半遅れて同年11月下旬に開業することを発表した。そして、2012年(平成24年)10月25日に新店舗の第2期分(北側部分)を先行開業させた後、スポーツ用品などの売場を本館8階のスポーツファッション「イングス」へ移設するため、2012年(平成24年)11月18日にイングス館を閉鎖した。 2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際には、当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した。
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