新交通システム構想
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「宇都宮ライトレール」の記事における「新交通システム構想」の解説
LRT整備事業の直接的な前身にあたる「新交通システム構想」のルーツは1987年(昭和62年)にまで遡る。当時の宇都宮市では宇都宮駅東側の区画整理が進展し、また駅東口の整備が進行しており、宇都宮駅をはさんだ東西方向の交通手段についての検討がされ始めた。同年8月11日に当時の宇都宮市長である増山道保の定例記者会見が行われ、その中で宇都宮駅の東西を結ぶ都市計画道路の建設、モノレールなどの新交通システムの整備、JR東北本線の高架化などの案を示した。また、市と県、建設省、東日本旅客鉄道、日本国有鉄道清算事業団の5者で検討委員会を発足させ、今後5年ほどかけて計画を方向づけ、全体で10年をめどに事業を進めていきたい考えも示した。 その後、1993年(平成5年)11月1日、当時の栃木県知事渡辺文雄は、栃木県公館で行われた真岡市の市民代表との広聴事業「こんにちは知事さん」にて、JR宇都宮駅東口から清原工業団地間の約10 kmに新交通システムを実験的に導入したいとの意向を示し、これが「新交通システム構想」の始まりとなる。構想が明かされるまでの経緯は、真岡市民代表からの「真岡工業団地から宇都宮市の間に新交通システムを設けてはどうか」という質問に対し、知事が構想の内容を披露したという流れで行われたものである。この構想で宇都宮駅東口から清原工業団地間の試験導入に限定した理由について、知事は、初期投資額を少なく抑えたいこと、宇都宮テクノポリス地区の建設促進に役立つこと、宇都宮市街地開発組合の清原工業団地の分譲による益金の用途は宇都宮市内の事業に限られていることなどを理由に挙げ、最大の課題として建設費を賄えるほどの利用者がいるかわからないことを上げた。また知事は清原工業団地まで整備した後、うまくいけば真岡市への延伸を図りたいという考えを示し、2、3年後をめどに結論を出したいと述べた。なお、車両は当時広島市への導入が決定していたスカイレールや、当時開発が進められており、後に山梨県で整備されたシャトル桂台で採用された「磁石式ベルト輸送システム」(Magnet belt type transportation system〈BTM〉)などを候補に挙げた。 1994年(平成6年)1月4日に栃木県公館で行われた渡辺知事の新春記者会見ではこの新交通システム構想について導入予定のシステムの開発完了時期を見極めながら、ちょうどタイミングのいい時期に建設したいという意向を見せた。また、新交通システムの方式について「ガイドウェイバスやモノレールなど種類が多いが、いずれも1 km数十億円ないし数百億円かかる。もう少し安い経費で簡便な公共交通機関を考えている」と全く新しいシステムを導入する意を述べた。また、利用者数の予測について、県土木部が行っている宇都宮都市圏の人の流れをつかむパーソントリップ調査の結果を参考すると述べた。 また、1993(平成5)年度中に宇都宮市街地開発組合内に「新交通システム研究会」が設置され、1997(平成9)年度中に市街地開発組合に市と県、交通事業者などが加わり「新交通システム検討委員会」が設置され新交通システム整備の在り方を議論していくこととなった。
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