断食・絶食療法
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「ケトジェニック・ダイエット」の記事における「断食・絶食療法」の解説
古代ギリシアの時代、医師たちが実践していた病気の治療法は、「食事を変えること」であった。『ヒポクラーテス全集』( 『The Hippocratic Corpus』 )に収録されている学術論文『On the Sacred Disease』(『神聖不可侵な病』)では、紀元前5世紀における癲癇治療を取り上げている。ヒポクラーテスは癲癇に対して「食事療法こそが、治療の確たる基礎となる」という姿勢を取っており、「癲癇が発症するのは人知の及ばぬものであり、手に負えない病気である」とする当時の一般的な見解に異を唱えていた。同書に収録されている『Epidemics』(『伝染病』) では、飲食を断つことにより、癲癇発作が発症したときと同じぐらいの早さで治った男性の事例を紹介している。王室専属の医師で解剖学者のエラシストラートゥス( Ἐρασίστρατος )は、「癲癇の症状が現れた場合は何があろうと断食を行い、食事制限をしなさい」と明言した。臨床医のガレノス( Γαληνός )は、「絶食は、軽度の癲癇患者を治癒し、それ以外の病気に対しても有益であるかもしれない」と考えた。 癲癇の治療手段としての絶食・断食についての研究は、1911年にフランスで行われている。あらゆる年齢層の癲癇患者20人に対し、摂取エネルギーを低くした菜食、断食、そして、(下剤による)腸内の異物除去を組み合わせることで、「解毒」できたという。被験者のうちの2人には有益な効果が見られたが、課された制限を順守できた者はほとんどいなかった。臭化カリウムは被験者を悄然とさせたのに対し、食事療法は被験者の意思能力を改善させた。 このころ、アメリカ合衆国における身体鍛錬の象徴的存在であったベルナール・マクファデン( Bernarr Macfadden )は、身体の健康のために断食を普及させた。マクファデンの教え子で、ミシガン州バトルクリーク在住のヒュー・ウィリアム・コンクリン( Hugh William Conklin )は、癲癇患者の治療に断食を取り入れ始めた。腸内のパイエル板( Peyer's Patches )から毒素が分泌され、それが血中に放出されたときに癲癇の発作が起こるのではないか、とコンクリンは推測した。この毒素を消滅させる目的で、コンクリンは患者に18~25日間の断食の継続を奨めた。コンクリンはかなりの数の癲癇患者を『水断食』( Water Diet )で治療した。子供の癲癇患者の90%はこれで治癒できたが、成人の患者では50%に下がった。その後、コンクリンによる患者の症例記録の分析では、患者の20%は発作から解放され、50%はいくらかの改善が見られた。コンクリンが行っていた絶食療法は、開業した神経内科医に採用された。 1916年、T・E・マクマリー( T. E. McMurray )は、『ニューヨーク・メディカル・ジャーナル』( The New York Medical Journal )に、「1912年以降、断食療法で癲癇治療に成功し、その後はデンプンや砂糖を加えない食事を処方している」と記述している。1921年、内分泌学者のヘンリー・ロウル・ガイエレン( Henry Rawle Geyelin,1883~1942 )は、アメリカ医師会( American Medical Association )が開催した定期学術集会に出席し、自身の経験を報告した。ガイエレンは、コンクリンによる癲癇治療の成功を目の当たりにしたことで、自身の患者36人で試した。短期間ではあったが、同様の結果になったという。1920年代に行われた更なる研究では、癲癇の発作は断食後に再発することがあるという。 コンクリンによる絶食療法で癲癇治療に成功した患者の1人で、ニューヨークの顧問弁護士、チャールズ・プレンティス・ハウランド( Charles Prentice Howland, 1869~1932 )は、自身の弟、ジョン・エライアス・ハウランド( John Elias Howland. 1873~1926 )に、『The Ketosis of Starvation』(『絶食状態におけるケトーシス』)を研究する資金として5000ドルを贈った。ジョンズ・ホプキンス病院( Johns Hopkins Hospital )の小児科の教授でもあったジョンは、兄から贈られた資金を、神経内科医のスタンリー・カブ( en:Stanley Cobb, 1887~1968 )とその助手、ウィリアム・ゴードン・レノックス( en:William Gordon Lennox, 1884~1960 )が行っていた研究のために提供した。
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断食・絶食療法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 15:34 UTC 版)
古代ギリシアの時代、医師たちが実践していた病気の治療法は、「食事を変えること」であった。『ヒポクラーテス全集』( 『The Hippocratic Corpus』 )に収録されている学術論文『On the Sacred Disease』(『神聖不可侵な病』)では、紀元前5世紀における癲癇治療を取り上げている。ヒポクラーテスはてんかんに対して「食事療法こそが、治療の確たる基礎となる」という姿勢をとっており、「てんかんが発症するのは人知の及ばぬものであり、手に負えない病気である」とする当時の一般的な見解に異を唱えていた。同書に収録されている『Epidemics』(『伝染病』) では、飲食を断つことにより、てんかん発作が発症したときと同じぐらいの早さで治った男性の事例を紹介している。王室専属の医師で解剖学者のエラシストラートゥス( Ἐρασίστρατος )は、「てんかんの症状が現れた場合は何があろうと断食を行い、食事制限をしなさい」と明言した。臨床医のガレノス( Γαληνός )は、「絶食は、軽度のてんかん患者を治癒し、それ以外の病気に対しても有益であるかもしれない」と考えた。 てんかんの治療手段としての絶食・断食についての研究は、1911年にフランスで行われている。あらゆる年齢層のてんかん患者20人に対し、摂取エネルギーを低くした菜食、断食、そして、(下剤による)腸内の異物除去を組み合わせることで「解毒」できたという。被験者のうちの2人には有益な効果がみられたが、課された制限を順守できた者はほとんどいなかった。臭化カリウムは被験者を悄然とさせたのに対し、食事療法は被験者の意思能力を改善させた。 このころ、アメリカ合衆国における身体鍛錬の象徴的存在であったベルナール・マクファデン(Bernarr Macfadden)は、身体の健康のために断食を普及させた。マクファデンの教え子で、ミシガン州バトルクリーク在住のヒュー・ウィリアム・コンクリン(Hugh William Conklin)は、てんかん患者の治療に断食を取り入れ始めた。腸内のパイエル板(Peyer's Patches)から毒素が分泌され、それが血中に放出されたときにてんかんの発作が起こるのではないかとコンクリンは推測した。この毒素を消滅させる目的で、コンクリンは患者に18~25日間の断食の継続を奨めた。コンクリンはかなりの数のてんかん患者を『水断食』(Water Diet)で治療した。子供のてんかん患者の90%はこれで治癒できたが、成人の患者では50%に下がった。その後、コンクリンによる患者の症例記録の分析では、患者の20%は発作から解放され、50%はいくらかの改善がみられた。コンクリンが行っていた絶食療法は、開業した神経内科医に採用された。 1916年、T・E・マクマリー(T. E. McMurray)は、『ニューヨーク・メディカル・ジャーナル』(The New York Medical Journal)に、「1912年以降、断食療法でてんかん治療に成功し、その後はデンプンや砂糖を加えない食事を処方している」と記述している。1921年、内分泌学者のヘンリー・ロウル・ガイエレン(Henry Rawle Geyelin、1883~1942)は、アメリカ医師会(American Medical Association)が開催した定期学術集会に出席し、自身の経験を報告した。ガイエレンは、コンクリンによるてんかん治療の成功を目の当たりにしたことで、自身の患者36人で試した。短期間ではあったが、同様の結果になったという。1920年代に行われたさらなる研究では、てんかんの発作は断食後に再発することがあるという。 コンクリンによる絶食療法で癲癇治療に成功した患者の1人で、ニューヨークの顧問弁護士、チャールズ・プレンティス・ハウランド(Charles Prentice Howland、1869~1932)は、自身の弟、ジョン・エライアス・ハウランド(John Elias Howland、1873~1926)に、『The Ketosis of Starvation』(『絶食状態におけるケトーシス』)を研究する資金として5,000ドルを贈った。ジョンズ・ホプキンス病院(Johns Hopkins Hospital)の小児科の教授でもあったジョンは、兄から贈られた資金を、神経内科医のスタンリー・カブ(en:Stanley Cobb、1887~1968)とその助手、ウィリアム・ゴードン・レノックス(en:William Gordon Lennox、1884~1960)が行っていた研究のために提供した。
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