斬る物体の種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 15:49 UTC 版)
人間 日本刀は人間を斬るための武器であるため、人間で試すことが確実であるという考えから、前述のように罪人の処刑やその死体を利用することが行われた。 手法としては横たえた状態で斬る生き胴、釣り上げることで立った状態を再現した生き吊り胴がある。 辻斬は動く人間を斬るためより実戦に近い状況となるが、戦国時代から江戸時代前期にかけて頻発したため禁止された。敵討はいつ発生するか分からず鑑定する刀が手元にあるとは限らないため利用されていない。 巻藁 かつては主に巻藁を使用していたが、現在では藁の入手が難しくなったことや、斬り屑が散る欠点から、使用されることは少なくなっている。現在、巻藁と呼ばれているものは畳表であることが多い。後述する竹入り畳表を斬るよりは竹が入っていない分容易に斬れる。 畳表 半畳または一畳分の畳表を巻き、紐で縛ったり、輪ゴムで止めたりした物。俗に巻藁と呼ばれ、現在、最も使われている。半畳巻は斬り易く、多少斬り方(刃筋)が曲がっていたとしても斬れる。後述する竹入り畳表を斬るよりは竹が入っていない分容易に斬れる。 竹入り畳表 青竹の芯を入れた畳表。青竹は骨の硬さに相当し、畳表の部分は肉の硬さに相当するといわれる。青竹入りの畳表を正しく斬れた場合には人間の首を落とすことが可能であるという説が存在するのもそのためである。 竹 竹は畳表に次いで試し斬りによく使われている。骨の硬さに似ているといわれる。 豚肉 豚の枝肉であれば大腿骨や腰骨以外は両断した例がある。小説家の津本陽は、中村泰三郎(中村流抜刀道の創始者)を訪ねて初めて試し斬りを行った際、まったく手応えを感じることなく豚肉の塊を骨ごと両断できたので驚いたと述べている。 兜 鉄兜に切りつけ、可能であれば2つに割ることを目的としたもので、兜割りと呼ぶ。実際には実戦用の兜であれば、数センチ〜十数センチ程度の切り口ができれば成功とされる。その難しさから、刀には硬度と靭性、実施する剣術者の打撃には「刃筋」が重要である。どちらかというと、特別な場合におこなわれる演武の一種。以下で述べるのは近代以降の例である。 (詳細は天覧兜割りの記事を参照) 明治20年(1887年)に伏見宮邸において天覧演武として行われた「天覧兜割り」が有名である。剣術家の榊原鍵吉、上田馬之助、逸見宗助が出場した。上田と逸見は失敗したが、榊原は同田貫を用いて、切口3寸5分、深さ5分斬り込んだ。警視庁で上田、逸見から剣術を学んだ高野佐三郎は、後年、「巻藁なんかは子供の悪戯と考えています。重きを置きませぬ。昔の試し切りは鉄の兜を斬るんです。(中略)据物斬りというのはなかなか難しいので、兜の中に御飯の温かいのを詰める。兜に温かみをつけてやる。何も入れないと、刀を折る。豆腐のカラを熱くふかして入れてもよい。置物の高さを知る事が大切で、素人が斬れて剣道の先生が斬れないという事が間々ある」と述べている。 1979年: 殺陣師の林邦史朗が時代考証家の名和弓雄からの依頼で兜割りを試した。兜の内側に粘土を詰め込み、跳ねないようにして斬った。兜は約2センチほどへこみ、刃の痕はくっきりと残ったが、刀は蛇行形に曲がった。名和は「兜の真っ向は、とても刀で斬れるものではない、と結論を下してよいと思う。(中略)昔は、炊き立ての飯米や、熱いおからを詰めて、鉢を温めてから斬ったと伝えられている。もし、鉢を温め、古刀の二尺七、八寸もある大業物を使用した場合、あるいはもっと斬れたかもしれない」と述べている。 1987年: テレビ番組として放映もされた試みで、実戦のものと伝わる兜に対し、復活した「たたら製鉄」の鉄を元に、伝統的な手作業による圧延と熱加工により十分な強度を持つ日本刀と、古流を受け継ぐ師範によっておこなわれ成功した。兜には前述の天覧兜割りに関して伝えられているのと同程度の切り口が残り、刀には注意して見ればわかる程度のわずかな刃こぼれのみであった。 1997年: 大阪在住の武道家の猿田光廣によって千人の観客の前で兜割りが行われている、使用した兜は桃山時代の本歌の兜で伝統にのっとり兜におからを詰めて斬った。使用した刀は市原一龍子長光在銘の二尺二寸六分の刀で兜割りに成功、横25cm深さ9cmを斬り込み刀は刃こぼれ一つなかった、この様子は関西テレビにて放映された。
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