改善委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:55 UTC 版)
1993年(平成5年)6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことをセンター職員らが目撃した。6月15日には、矢野の研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した。 A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」という。)は、上記の事情も知り、もはや矢野の個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件の真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した。 この質問状を受領したセンター教授らは、部門長会議及び拡大部門長会議で対応を検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授で構成することを決定した。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時の教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された。改善委員会委員長である高谷教授は、個人の良識に解決を委ねるべきであると考え、矢野に謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査の継続の有無と辞任理由とセクハラの責任の関係について回答を求める趣旨の質問状を提出した。 質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日の協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと、矢野の辞任の理由は他の公務が多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った。また、米澤助手らは、井口博弁護士(以下、「井口弁護士」という。)と相談し、8月20日付で、セクハラの事実を認めて被害者に謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨の矢野個人に対する質問書を送付した。 矢野は、8月31日に正式にセンター所長を辞任した。9月1日、矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」という。)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長も兼務することになった。9月9日、矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本元総長」という。)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」という。)、高谷教授、古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した。 同僚からの手紙で上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日にセンター編集室に電話し、米澤助手に自分と矢野との性的関係などの事情を告白した。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野のセクハラの事実の有無について調査したいと申し出た。 米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士を代理人として質問書を送った。10月1日、文部省は京都大学に照会し回答を求めた。坪内所長は、高谷教授、前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野は事実関係は存在しない旨の弁明をした。10月4日、坪内所長は、事実関係を調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係の調査を所長の責任で公的なものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした。 米澤助手は、甲野らに公的な調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した。それに聴取書や証言メモを作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した。11月11日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性の実在と証言の自発性を確認するため、海田教授、土屋教授、前田教授、福井教授の4名(以下、「海田教授ら」という。)が2名1組になって面談調査をすることを決定し、米澤助手の立ち会いの下で、甲野、A子、B子から話を聞いた。坪内所長を含むセンターの教授らは、海田教授らからの調査結果を聞いて、「矢野は潔白ではないのではないか。」という心証を持ったが、「教授会には司法権がなく、本人個人の誠意ある対応を待つしかない。」という消極論が大勢を占め、11月20日に米澤助手に対して、「すぐには結論が出ない。しばらく待ってほしい。」と答えるに留まった。
※この「改善委員会」の解説は、「矢野事件」の解説の一部です。
「改善委員会」を含む「矢野事件」の記事については、「矢野事件」の概要を参照ください。
- 改善委員会のページへのリンク