騒動の収拾まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/07 02:06 UTC 版)
「KEIRINグランプリ'89」の記事における「騒動の収拾まで」の解説
さらに選手会は、グランプリの開催だけでなく1990年1月12日からの大宮競輪記念開催までストライキの対象としていたため、 これ以上の更なる事態の深刻化を懸念した主催者側は、年末年始の休暇を返上して日本自転車振興会および自転車競技会全国協議会(いずれも当時)も選手会との会合に加わり、12月30日と1990年1月3日に会合を行った。 これらの会合でも意見は平行線をたどり続けていたが、1月6日の会合で、通商産業省(当時)機械情報局長を委員長とする中央登録競輪選手制度改善委員会に、今回の裁定を一任させることでまとまった。 1月8日に改善委員会から下った裁定には選手会が同意し、9日には主催者側も裁定に同意したことから、双方が合意する形で決着となり、12日からの大宮記念は無事に開催された。 これにより、当初より金額の増加分こそ減少したものの、選手会の要求にほぼ沿った形で1990年度の賞金総額は増加され、同時に「3%ルール」は事実上撤廃されることになった。
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