愛と恋の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 07:54 UTC 版)
「恋愛」も参照 日本語では「愛」という概念と「恋」という概念は比較的はっきりと区別することができる。たとえば母や父が子を大切に思い、護り、そだてようとする気持ちは「愛」であるが、決して「恋」ではない。なお世の中には、一方的に恋をしていても、ただの恋にすぎず、相手のことを実は本当には愛していない、というような人は多い。当百科事典でも、愛と恋は区別し、恋のほうは恋愛という別記事で説明する。 ただしヨーロッパ諸語の中でも特に英語は基本語彙が貧弱な傾向があり、特に現代の英語圏の若者は語彙が貧困で、勉強が足らず、アガペーという用語も知らず、ただloveという言葉しか使わない結果、愛と恋をloveというひとつの語で表現してしまい、あれもこれもごちゃまぜにしてしまっており、混同しがちである。とはいえ近年では日本人でも、英語圏の人々の真似をしたい場合は「ラブ」と言って愛と恋をごちゃまぜにすることもある。 恋というものは「ただの恋」で終わってしまうことは多い。愛にまでは育たないことが多いのである。ただし、それぞれの人間性や人間的な成熟度にもよるが、最初は恋で始まった未熟な人間関係でも、交流を重ねるうちに、どちらかのうちに本物の愛が芽生え、育ってゆくことはある。 異性への恋というのは実は、当人が気づいていなくても、その背後に子孫を残したいという動物的衝動が潜んでいる。というよりむしろ、異性への恋というのは当人が気づいていなくてもまず最初に子孫を残すという動物的衝動があって、それが異性への強い関心へとつながり、その強い関心が当人にとっては「恋」と感じられていることがある。古代以来の哲学者たちがそれをどのように理解し説明してきたか、次に挙げる。 プラトンによると愛 erōsは善きものの永久の所有へ向けられたものであり、肉体的にも心霊的にも美しいもののなかに、生殖し生産することをめざす。滅ぶべきものの本性は可能な限り無窮不死であることを願うが、それはただ生殖によって古いものから新しいものをのこしていくことによって可能である。この愛を一つの美しい肉体からあらゆる肉体の美へ、心霊上の美へ、職業活動や制度の美へ、さらに学問的認識上の美への愛に昇華させ、ついに美そのものであるイデアの国の認識にいたることが愛の奥義である。プラトニック・ラブはもとこのような善美な真実在としてのイデアの世界への無限な憧憬と追求であり、真理認識への哲学的衝動である。しかしプラトンは美しい肉体への愛を排除するものでなく、イデアに対する愛を肉体的なものへの愛と切りはなして考えるものでもない。 プラトンは、エロスは神々と人間との中間者であり、つねに欠乏し、美しいものをうかがい、智慧を欲求する偉大な精霊(ダイモン)であるという。生殖の恋も愛智としての恋も、ともに不死なるものの欲求である。恋の奥義は地上の美しいものどもの恋から出発して、しだいに地上的なるものを離れ、ついに永遠にして絶対的な美そのものを認識するに至ることにある。
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