愛と性の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 07:54 UTC 版)
愛情と性的な感情がごちゃまぜになった状態は「性愛」と言う。 ショーペンハウアーは、あらゆる形式の愛が性への盲目的意志に人間を繋縛するものであるとの理由で愛を断罪する。しかし、その主著には独自の「性愛の形而上学」の考察が含まれている。それによれば、愛はすべての性欲に根ざしているのであり、将来世代の生存はそれを満足させることにかかっている。けれども、この性的本能は、たとえば「客観的な賛美の念」といった、さまざまな形に姿を変えて発現することができる。性的結合は個人のためではなく、種のためのものであり、結婚は愛のためにではなく、便宜のためになされるものにほかならない。フロイトは性欲のエネルギーをリビドーと名づけ、無意識の世界のダイナミズムの解明につとめたが、とくに幼児性欲の問題は従来の常識的な通念に大きな衝撃を与え、性愛の問題の現代的意味の追求への道を開いた。たとえばD.Hロレンスの文学は、性愛のいわば現代文明論的な意味の探求を一つの中心課題としているものといってよい。サルトル、ボーヴォワールらの実存主義者たちにも、人間論の中心問題としての愛、性欲の問題への立ち入った究明の試みがみられる。(生殖とは、生物の個体が自己の体の一部を基として自己と同じ種類の別の個体を生じる現象をいう。個体にはそれぞれだいたい一定の寿命があって死滅するが、生殖によって種属の絶滅がふせげる。生物には個体維持の本能とともに生殖を全うしようとする種属保存の本能があり、両者を生物の二大本能という。生じた個体はその基となった個体とかならずしも同似ではないが、一定の世代数をへて同似のものにもどる。)
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