悲鳴をあげる肉体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 22:18 UTC 版)
「エルジン・ベイラー」の記事における「悲鳴をあげる肉体」の解説
彼の膝を痛みが襲い始めたのは1960年代初頭の頃からだった。膝にカルシウム沈着が起き、彼は膝に走る痛みと戦いながらプレーしなければならなかった。そして1963-64シーズンには膝の痛みが本格的に彼のプレーを蝕み始めるも、それでもベイラーは毎試合40分以上の出場をこなした。しかし痛みの影響は明らかで、このシーズンのベイラーの成績は平均25.4得点12.0リバウンド4.4アシストと前年度を大きく下回り、彼の失速でレイカーズもやはり前年度を大きく下回る42勝38敗に留まり、プレーオフではホークスに敗れている。ベイラーのパフォーマンスはこのシーズンを境に明らかな低下が見られ、以後、彼の平均得点が30点を上回ることはなかった。 1964-65シーズンもベイラーは膝の痛みに苦しんだが、平均41.3分の出場と肉体を酷使し、平均27.1得点12.8リバウンド3.8アシストの成績を残す。レイカーズはベイラーの奮戦やウェストらの活躍で49勝31敗まで勝率を回復させ、プレーオフの第1シードを獲得した。そしてボルチモア・ブレッツとのデビジョン決勝を迎えたのだが、ここで悲劇が起きた。4月3日の第1戦。この日2本目のシュートを放とうとしたベイラーの膝に激痛が走った。左膝の靭帯が破損したのである。この時、ベイラーは自身の靭帯が損傷する音をはっきりと聞いたという。ベイラーはすぐに医務室へと運ばれ、以後のシリーズを全休。彼の1965年のプレーオフは僅か5分で終わったのである。レイカーズはベイラーを欠きながらもウェストとルディー・ラルッソらが善戦し、ブレッツを破ってファイナルに進出するも、セルティックスに四度敗れている。 ベイラーを診た医師は、彼のバスケットキャリアはすでに尽きたと判断し、そのことをベイラー本人に伝えた。靭帯は大きく裂け、膝蓋骨も損傷していたのである。しかし夏のトレーニングキャンプを前にして膝の痛みは引き、ベイラーは自分にはまだ機動力が残されていると感じた。ベイラー自身、もう二度と歩けなくなるのではないかとすら思っていたが、夏のキャンプでは全力で走れるまでに回復していた。しかし全盛期の動きを取り戻すには至らなかった。全盛期のベイラーのプレーはドライブやリバウンドで恐れを知らぬアプローチを見せて周囲を感嘆させたものだが、それも彼の類まれな身体能力があったればこそだった。ベイラー本人、当時の自分の力を全盛期の「75%程度」と語っている。それでもなお、ベイラーはその他大多数のNBA選手よりも優秀だった。ベイラーは1965-66シーズンに65試合に出場し、平均30.4分の出場で16.6得点9.6リバウンド3.4アシストといずれも過去最低の数字を記録。ルーキーイヤーから続けてきたオールスター出場、オールNBA1stチーム入りも7年で途絶えた。しかしレイカーズというチームにおいてベイラーはもはや数字上だけの存在ではなくなっていた。ベイラーに代わってエースとしてチームを牽引したウェストは平均31.3得点を記録。またウォルト・ハザードや後にウェストと強力なバックコートを組むゲイル・グッドリッチら新戦力もチームに活力をもたらし、レイカーズは45勝35敗と前年度よりも勝率は下がったが第1シードを確保して、デビジョン決勝にて宿敵ホークスとの対決を4勝3敗で制し、ファイナルに進出した。そしてファイナルの地で待っていたのが当時ファイナル7連覇中の仇敵ボストン・セルティックスである。1959年の初対決から8年。セルティックスの陣容も大きく変わり、ビル・ラッセルは絶対的な大黒柱として健在ながらもボブ・クージーやビル・シャーマン、トム・ヘインソーンらの姿はすでに無く、サム・ジョーンズやジョン・ハブリチェックらがチームの中核を担っていた。レギュラーシーズン54勝とレイカーズの勝率を大きく上回るセルティックスに、レイカーズは今回も惨敗を喫するかに思われた。しかし満身創痍のベイラーが奮戦。ボストンでの第1戦で序盤20-38と大きく引き離されながらも、ベイラーの36得点の活躍でオーバータイムの末に133-129でレイカーズが勝利した。第5戦でもベイラーは41得点をあげるなど大活躍を見せ、手負いのベイラーの活躍に鼓舞されたレイカーズは第7戦まで粘ったものの、最後は93-95の僅か2点差で敗退。今回もセルティックスを追い詰めながら、優勝には手が届かなかった。 1年前には周囲の誰もが、本人すらも「ベイラーは終わった選手」と信じていたが、1966-67シーズンにベイラーは成績を平均26.6得点(リーグ4位)12.8リバウンド(リーグ9位)3.8アシストまで回復させ、オールスターとオールNBA1stチームにも復帰し、一流選手へと返り咲いた。しかしプレーオフではリック・バリー率いるサンフランシスコ・ウォリアーズの前に3戦全敗を喫している。なお、レイカーズの前に尽く立ちはだかったセルティックスはこの年、ウィルト・チェンバレン率いるフィラデルフィア・76ersに破れ、9年ぶりに王座を明け渡している。レイカーズは1967-68シーズンを前に7年間チームを指揮したフレッド・シャウスをヘッドコーチから解任。後任にブッチ・ヴァン・ブレダ・コルフを抜擢した。レイカーズはベイラーにウェスト、ゲイル・グッドリッチ、アーチー・クラークの新しい核で新シーズンに臨み、52勝30敗の成績を記録。ベイラーは平均26.0得点12.2リバウンド4.6アシストを記録。当時の得点王は平均ではなく通算で決められており、このシーズンにベイラーは通算2,002得点をあげたが、これはデトロイト・ピストンズのデイブ・ビンに次ぐリーグ2位の記録だった。プレーオフではシカゴ・ブルズ、サンフランシスコ・ウォリアーズを破って6回目のファイナルに進出。前年度チェンバレンの76ersに敗れたセルティックスだったが、この年は76ersにしっかりとリベンジを果たし、レイカーズとセルティックスは6度目の対決を迎えた。レイカーズとベイラーは今回もセルティックスを打倒することが出来ず、2勝4敗で敗れた。
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