徴用と密入国とは? わかりやすく解説

徴用と密入国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:25 UTC 版)

在日韓国・朝鮮人」の記事における「徴用と密入国」の解説

朝鮮人徴用者の日本移入1944年9月から1945年3月までの期間実施された。1946年3月までに在日朝鮮人のうち140万人帰還希望者が日本政府の手配などにより朝鮮帰還している。 1959年日本政府発表は、日韓併合による在日朝鮮人の数を245人としている。朝鮮人代議士によると1933年当時年間5万人の朝鮮人日本内地増加していた。 日本政府朝鮮人帰還させようとしたが、占領下では占領軍送還徹底しなかったこと、主権回復後李承晩政権朝鮮人送還拒んだ。そして在日朝鮮人達もそれを強く求めることはしなかった。理由としては、朝鮮在住中に食糧難仕事の難に陥り、朝鮮にいては食べていくことができなくなったことが挙げられる金欠飢えに耐えかねて、日本での高給仕事求め移住してきたので、今更祖国へ帰ったところで生きていく術はないのである1955年6月18日国会衆議院法務委員会では、朝鮮半島から密入国した者など彼らの日本国内における犯罪行為に関する事項議題取り上げられた。後の総理大臣となる小泉純一郎父親である小泉純也法務次官当時)は、「60万人推計されている韓国人朝鮮人のうち、日本離れて祖国戻りたいという人は一人もいないと言っても言い過ぎではない。」「向こうから、手段方法問わず、命までかけて日本密航しようとする人々引き続き溢れている。このようにして入って来た人たちに対し日本政府国民血税投入し、彼らが生活できるよう面倒を見なければならない状況になっている。」「彼らを手厚くもてなさない日本人権侵害しているというような問題提起をしてくる。見方によっては、日本国民血税犠牲にしつつ、むしろ彼らを日本第一義にすることを要求しているのではないか思われるレベルである。」と答弁している。答弁に対して椎名議員は「どうにかして日本にさえ入れば生活するのに何の問題もなくなる。だからどんどん入ってくるのではないか?」と述べている。更に在日韓国・朝鮮人当時の様子について「戦勝国といっていばりにいばり抜いておる。私たち(選挙区)の町にも漁業家が相当あるが、向うへ行くたびにびくびくして出漁しなければならないという状態です。漁業においても締められておる。」「朝鮮人中でも悪質な連中ヒロポン製造販売し国民保健を非常に傷つけておる、あるいはこっちに来て酒をどんどん作っておる。しかも国家酒造税収入妨げておる。悪いことばかりしている連中が多い。」「これはこっちがあまり待遇よくするから、朝鮮人連中は、向うで食うに困ったならば日本行った方がいい、日本行きえすれば待遇がいい、日本行きえすれば生活ができるというようなところからどんどん入ってくるのじゃないかと思う。」と様々な対策すべきと述べている。 1965年12月18日朴正熙政権は、朝鮮総連加担したものも韓国政府保護下に戻ることを希望し分別なく故国をすてて日本密入国ようとしたものについても韓国民として是非を問わないとすることを表明している。 2005年6月9日マルハン社長韓昌祐は、終戦の年、15歳の時、日本で働く兄の招き密入国した、と述べている。

※この「徴用と密入国」の解説は、「在日韓国・朝鮮人」の解説の一部です。
「徴用と密入国」を含む「在日韓国・朝鮮人」の記事については、「在日韓国・朝鮮人」の概要を参照ください。

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