御前口演・落語協会脱退・死去とは? わかりやすく解説

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御前口演・落語協会脱退・死去

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:09 UTC 版)

三遊亭圓生 (6代目)」の記事における「御前口演・落語協会脱退・死去」の解説

1973年昭和48年3月9日落語家として2人目の御前公演依頼され香淳皇后古希祝い御前で『お神酒徳利おみきどっくり)』を上演この年13LPレコード人情噺集成」を発表以降、「圓生百席」に繋がる大プロジェクトになり、6代目圓生逝去まで続いた1978年昭和53年)、柳家小さん会長による落語協会真打大量昇進抗議して協会脱退落語協会分裂騒動)。多く脱退者落語協会に戻る中、一門落語三遊協会結成この際仲介労を取った席亭らの顔をつぶすとなったため、以降寄席落語定席)には出演不能になる1979年昭和54年3月落語家として初め歌舞伎座独演会開催9月3日79歳の誕生日千葉県習志野市商業施設サンペデック(現・モリシア津田沼)」宴会場開催され後援会集い小噺桜鯛』を演じた直後心筋梗塞発症同日夜半過ぎ急逝した79歳没。 上野動物園ジャイアントパンダランラン)が翌日9月4日死んだため、新聞一般紙)のトップ記事パンダランラン訃報であったスポーツ紙圓生逝去訃報大きく取り上げた。 この訃報パンダランラン取られたことは、圓生孫弟子弟子5代目三遊亭圓楽弟子)である6代目三遊亭圓楽(旧楽太郎)が2011年の上動物園パンダリーリーシンシン来日決定直後収録され笑点あいさつ語っている(大師匠である圓生師匠死去直後に「パンダ死んだ圓生も」と一括り訃報報道された旨であいさつしている)。 毎日新聞見出しは「圓生師匠高座死す」だった。 後日サンペデック内、習志野文化ホール入口近く圓生偲ぶ石碑建立された(2012年現存)。 「あたしは20世紀生れでげすから」が口癖だったが、上にもある通り4か月ほどの差で19世紀最後の年生れであり、ニュアンスとしては楽屋ネタ的には「志ん生、文楽正蔵よりは若い」といったようなところがある(5代目古今亭志ん生10歳8代目林家正蔵5歳それぞれ年上)。むしろ、志ん生や正蔵20世紀入った後の東京弁使っていたのに対し圓生は(その口癖自身中にあらわれているように)「〜げす」「〜がす」「〜やす」といった、江戸末期から明治初期芸人使った言葉日常的に話した最後噺家とされる

※この「御前口演・落語協会脱退・死去」の解説は、「三遊亭圓生 (6代目)」の解説の一部です。
「御前口演・落語協会脱退・死去」を含む「三遊亭圓生 (6代目)」の記事については、「三遊亭圓生 (6代目)」の概要を参照ください。

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