広島空港時代
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1961年(昭和36年)9月15日:天満川と太田川放水路の中州河口に当たる西区観音地区に、新たに運輸大臣管理の第二種空港「(初代)広島空港」として供用開始。 1971年(昭和46年)8月3日:東亜国内航空のYS-11が片肺飛行の訓練中、離陸に失敗して滑走路をオーバーランする事故。乗員に死傷者無し。 1972年(昭和47年):滑走路長を1,200メートル (m) から1,800mへ延伸した。 1979年(昭和54年)8月15日:全日本空輸が運航する広島ー東京線の一部の便でジェット化。(B737) 1980年(昭和55年)11月15日:航空貨物ビル完成。全日本空輸と日通航空が入居。 1984年(昭和59年)3月10日:空港ターミナルビル増改築完成。増築部分に出発ロビーを移転。 1986年(昭和61年)3月1日:広島 - 札幌線開設(全日本空輸) 1986年(昭和61年)4月29日:広島 - 那覇線開設(全日本空輸) 1986年(昭和61年)9月19日:初の国際チャーター便就航(日本航空によるソウル便,B767) 同年、年間乗降客者数が初の100万人突破。 1987年(昭和62年)4月29日:日本初の都市間コミューター路線として広島ー松山線、広島ー大分線開設(西瀬戸エアリンク) 1988年(昭和63年)7月23日:広島 - 東京線ダブルトラック化(日本エアシステム,A300) 1990年(平成2年)7月21日:広島 - 東京線トリプルトラック化(日本航空,B767) 1991年(平成3年)3月27日:国際線ターミナル完成。同年6月3日に動物検疫港に指定され、6月21日には税関空港、出入国港、検疫飛行場、植物輸入港に指定。 1991年(平成3年)4月1日:広島 - 松山線、広島 - 大分線の運行会社が西瀬戸エアリンクからジャルフライトアカデミー(J-AIR)に変更 1991年(平成3年)6月21日:初の国際定期便として広島ーソウル線開設。(アシアナ航空により週4便,B737)7月22日からは運航会社に日本航空も加わる。(週2便,B767) 1991年(平成3年)11月20日:広島 - 小松線、広島ー長崎線開設J-AIR 1992年(平成4年)7月22日:広島 - 香港線開設(香港ドラゴン航空, B737) 1992年(平成4年)10月25日:広島 - 仙台線開設(全日本空輸) 1993年(平成5年)10月28日:全日空東京行686便の出発をもって広島空港としての32年間の歴史に幕を閉じる。出発前にロビーにてセレモニーが開かれる。
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