幼年期から第1詩集まで
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「ウィリアム・バトラー・イェイツ」の記事における「幼年期から第1詩集まで」の解説
イェイツは1865年6月13日、アイルランドのダブリン県でイングランド植民者子孫の家に生まれた。父ジョン・バトラー・イェイツ(英語版)ははじめ法律を学んで弁護士資格を取ったが、結婚後に画家となる決意を固め、イェイツが2歳のとき一家はロンドンへ移った。以後イェイツは幼少期をロンドンで過ごすが、一家はアイルランド港町スライゴの裕福な船主だった母方の祖父の家をたびたび訪れ、ここでイェイツが触れたアイルランドの習俗や妖精伝説は、後の詩作の重要な着想源となった。 1881年に一家はダブリン県へ戻る。イェイツは父親と同様に画家を志して地元の美術学校に入学するが、同時に創作を開始、ダブリン大学の同人誌に「彫像の島」(The Island of Statues)と題する牧歌劇の習作を連載している。このころ神秘主義に傾倒して友人と「ダブリン神秘哲学協会」を組織したほか、活動家ジョン・オリアリーらの知己を得てアイルランド独立運動に接した。またアイルランドの歴史・神話に深く惹きつけられて、これを題材とする物語を書き始めており、こうした民族自治・オカルティズム・アイルランドの伝統への関心といった要素は、初期イェイツの創作に大きな影響を及ぼすことになる。 イェイツは2年で絵の才能に見切りをつけて、22歳のとき美術学校を退学、1887年に一家は再びロンドンに出た。イェイツはそれまで書き継いでいた作品を第1詩集『アシーンの放浪』(The Wanderings of Oisin and Other Poems, 1889年)として刊行、その哀愁に満ちた優雅な表現と、当時ロンドンで馴染みの薄かったケルト伝説によってロンドン文芸界の注目を集めた。 アシーン(オシアン)はアイルランド伝説に登場する英雄の一人で、妖精に導かれて歓楽の国・恐怖の島・忘却の島などさまざまな土地をめぐったのちに故郷へ戻るが、そのときすでに300年の月日が経っていたことを知る。アシーンが妖精の戒めを破って大地に触れると、彼はただちに白髪の老人に姿を変える。イェイツの詩は、この物語を老いたアシーンがアイルランドで布教していた後の守護聖人パトリックに物語る構成を取っている。この間『アイルランド農民の妖精物語と民話集』(Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry, 1888年)を刊行するなど、この時期のイェイツはアイルランドの歴史・伝統への深い関心に彩られている。
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