幼年期から元服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 09:46 UTC 版)
天文20年(1551年)、安芸国の戦国大名・毛利元就の四男として誕生する。母は乃美大方(継室、側室とも)。 元就の正室の子である毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の3人の兄達が元就から大切にされたのに対して、元清を始めとする側室の子達は、父から「虫けらなるような子どもたち」と表現されている。しかし粗略に扱われたわけではなく、「もしこのなかでかしこく成人するものがあったならば、隆元・元春・隆景は哀れんで、いずれの遠境などにでもおいてほしい」とも依頼している。一方で「たいては、まぬけで無力なものだろうから、その時はどのようにされてもかまわない」とも述べており、そこには正室の子と側室の子を明確に分ける元就の配慮が読み取れる(『三子教訓状』)。 永禄9年(1566年)、甥に当たる本家当主・毛利輝元の加冠を受けて元服する。永禄11年(1568年)、村上水軍との関係を強化する必要もあり、来島の村上通康の娘を正室として迎えた。
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