平成の大合併下の「出・東北」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:22 UTC 版)
「東北地方の経済史」の記事における「平成の大合併下の「出・東北」」の解説
小規模な市町村の「役所」という“企業”も県庁と同様な経営不振の状況にあり、「平成の大合併」や「アウトソーシング」によって「コスト削減」をして、なんとか倒産を防ぐ試みが行われている。しかし、少子化による人口減、高齢化による社会福祉費の増大などにより、税収(売上)は少なく支出(経費)が多い状況が見え、“企業”としての先細りの感は否めない。 従来、町村の有力"企業"は、1)役場、2)農協(流通・金融)、3)学校、4)工場、5)建設業、6)病院であり、若い労働力の就職先としても機能してきた。しかし、バブル期の金融で失敗した農協が、再編・広域合併などで財政執行権のない支店格化したり、平成不況で工場が閉鎖されたり、小泉政権下の公共事業の削減によって建設業が倒産して、有力"企業"は、役場・学校・病院になった。近年、少子化のために学校が廃校になって地域から失われ、「平成の大合併」によって役場がなくなった地域も出てきた。現在は、高齢化によって「顧客(患者様)」が増加傾向にある病院のみが有力企業として生き残り、町村の形が「病院城下町」化した地域が多くなっている。ただし、医療費削減・医師不足・医療の機能分担などにより、病院も整理統合される可能性がある(参考:町村の新たな有力企業→「道の駅」、「秘湯ブームや個人旅行に対応した温泉宿」)。 この時代においては、ベンチャー企業の育成、あるいは域外からの投資によって地方経済は生き残らざるを得ない。域外からの投資によって成長をしている北上都市圏、地場の企業育成によって成長を見ている山形県の米沢都市圏や村山地方などの例はあるが、大半の地域では産業の育成が滞っている。そのため、東北地方全体でみると近年の人口減少は著しく、小学生以下の子を連れて東京に移住する例が多く見られ、合計特殊出生率の値云々よりも、実質的に生産年齢世代と子供がいない「限界集落」が続出し、実際に廃村となる地区も見られ、シャッター通りと並んで大きな問題になっている。 なお、宮城県以外の東北5県の県外転出者に占める宮城県を転出先とする者の割合は、高度経済成長期の1965年が7.3%であったのに対し、1995年は19.0%、2003年は18.0%となっており、昭和の「出・東北」と平成の「出・東北」では若干様相が異なる。
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