幕末から太平洋戦争までとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 幕末から太平洋戦争までの意味・解説 

幕末から太平洋戦争まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:48 UTC 版)

会津若松市」の記事における「幕末から太平洋戦争まで」の解説

1862年文久2年)、会津藩松平容保京都守護職に任ぜられ、尊王攘夷派志士取り締まり京都治安維持担ったが、長州藩筆頭とする倒幕派(後に明治政府軍となる)の恨みを買うことになった1868年慶応4年)に戊辰戦争勃発すると、会津藩攻撃対象とされた(会津戦争)。明治政府軍は若松城下にまで侵攻し白虎隊自刃などの悲劇起き城下町大半灰燼に帰した戊辰戦争敗れた結果会津若松明治政府直轄地となり、民政局設置された。翌1869年民政局廃止され若松県設置され県庁最初大町融通寺に、次に若松城本丸置かれた。明治4年7月14日1871年8月29日)の全国的な廃藩置県により、引き続き若松県設置され会津若松若松県県庁所在地となった。しかし、1876年明治9年8月21日には若松県福島県(1876年以前)、磐前県の3県が合併され現在の福島県成立し、これ以来福島県入れられている。 1889年北会津郡若松町となり、1899年市制施行により「若松市となったこの年人口は30,488人であった1890年私立会津中学校開校。後に県立移管され福島県立会中学校となり、現在の福島県立会津高等学校に至る。1899年明治32年7月15日岩越線現在の磐越西線)が若松駅現在の会津若松駅1917年大正6年4月21日改称)まで開通する磐越西線1914年大正3年11月1日新津まで全通した1908年日露戦争伴って新設され第13師団歩兵第65連隊若松置かれ現在の会津若松市立第二中学校敷地衛戍地とされた。同連隊1925年宇垣軍縮伴って廃止され、代わって第2師団歩兵第29連隊仙台から移動するその後1937年日中戦争契機歩兵第65連隊復活した歩兵第65連隊南京攻略戦などに参加歩兵第29連隊ガダルカナル島の戦い投入され大きな損害受けている。 1902年明治35年1月1日開業会津電力株式会社により電力の供給開始されたほか、1929年昭和4年4月1日には水道給水開始された。また、1934年昭和9年3月5日東京へ電話開通など、この時期には近代化が進む。また、1932年昭和7年10月19日御薬園会津松平氏庭園)、1934年昭和9年12月28日には若松城址が国の史跡指定されたほか、1937年昭和12年4月1日には現在の市役所庁舎完成している。

※この「幕末から太平洋戦争まで」の解説は、「会津若松市」の解説の一部です。
「幕末から太平洋戦争まで」を含む「会津若松市」の記事については、「会津若松市」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「幕末から太平洋戦争まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「幕末から太平洋戦争まで」の関連用語

幕末から太平洋戦争までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



幕末から太平洋戦争までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの会津若松市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS