帰国~会社員
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2004年(平成16年)株式会社アットムービーの社員として働き始めた。社風として頼まれた仕事はしない、自分たちでやりたいものだけをやるのがルール。企画から資金調達、配給まですべてワンストップでやる。國光自身はITが好きだったので、いろんな企画を考え、自由に働かせてもらった。同年に取締役に就任。映画、ドラマのプロデュース、ほかさまざまなIT系新規事業を立ち上げる。 今振り返っても画期的なサービスをリリースしていた。つくりたいものものありきで、メディアは「テレビ」「映画」「ネット」「携帯」「舞台」と何でもOK。動画ドラマをPHSで配信したのは世界初、最初に携帯で映画の試写会を実施したのも國光が考案したアットムービー発の企画だった。2005年(平成17年)女優の加藤ローサ主役に配した「シムソンズ」というカーリング競技を主題にした映画を製作。トリノオリンピックのネットプロモーションを進める際に、動画をブログに張り付けて、ユーザーがコメントを入れるとテロップが流れる、「突っ込み放送局」というサービスを実施。映画の予告編のテロップを入れて、一番人気のユーザーに、加藤ローサのオリジナル動画をプレゼントというキャンペーンを始めたら、コメントが殺到。この動画共有サイトを開発してくれたのが、フリップ・クリップという会社で働いていた堀内康弘(後にgumiのCTOを歴任)だった。 この時のプロジェクトはそのまま解散したが、翌年、ドワンゴが「ニコニコ動画」をスタート。「突っ込み放送局」と同じような仕組みで大ブレイクして、すごく悔しい思いをした。その悔しさもひとつの起業のモチベーションになった。エンターテインメント業界は古い体質のピラミッド社会で、新しいチャレンジができづらい窮屈さがあり、アイデアがあっても価値はゼロ。やはり、実現できてなんぼな世界。その頃、國光は海外のコアなIT事情を真面目に解説するブログを書いていて、IT系の人たちとの交流が増えていた。その一人が、米Zyngaが買収した、「ウノウ」の社長・山田進太郎。彼とはすぐに意気投合し、何度か飲んで、「僕はエンタメ、山田さんはIT。お互いの得意分野を合わせて一緒にやろう」となった。で、2006年(平成18年)10月にアメリカで開催された大きなIT展示会「サウスバイ・サウスウエスト」で、ツイッターが初登場。PCを使ったこのリアルタイムSNSは、絶対にモバイルでやったほうが面白い。これだな!と直感する。
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