占いとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 07:04 UTC 版)
大学生時代、都内の飲食店で浦安市のテーマパーク関係者であるアメリカ人と知り合って意気投合し、英語の勉強も兼ねて通訳見習いとして手伝うことを提案される。その出会いと様々な経験などをきっかけに日本の大学を退学し、ロサンゼルスへ渡る。 渡米後は、現地の大学へ通い、マネジメントを学ぶ。卒業後は、すぐに帰国しては勿体ないと感じたことや会社員になる自分が想像できなかったことを理由に現地に9年程滞在し、2010年まで滞在する。 滞在中、ロサンゼルスのアジア人コミュニティで幼少から興味を抱いていた占いについて造詣を深め、現地の中国人から易学などについて学ぶ。 29歳になってからは「そろそろちゃんとしなきゃなぁ」と感じつつ、30歳までには帰国しようと漠然と思っていたこと、またその時期に立て続けにロサンゼルスで身の回りで奇妙な事が起きたことをきっかけに、これ以上ここにいるべきではないと判断し、日本へ帰国した。 帰国後、何気なく立ち寄った横浜ベイシェラトンホテルの占いコーナーで占い師に向いていると言われ、帰国1ヶ月後の2010年8月から占い師として活動を始める。 占い師となった後は、占術方法などを明治時代から四代続く易学の権威・東洋運命学易断本部の代表・村澤妙世氏から学びつつ、自ら占いの勉強と対面鑑定を行い実占で経験を積んだ。また、生活のためにコールセンターの仕事や深夜に鶴見にあるヤマト運輸の倉庫で荷物を仕分けする仕事などを行った。2017年12月ごろまでは横浜ベイシェラトンホテルの占いコーナーに出席して対面の占いを行っていた。
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