巨大な津波の主因となった第二の破壊過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:07 UTC 版)
「東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズム」の記事における「巨大な津波の主因となった第二の破壊過程」の解説
地震発生後約40秒後から100秒後までの第二の破壊過程は極めて大規模で、しかも比較的狭い地域で発生した。この第二の破壊による最大変位量は小さな推定でも30メートル以上、大きな推定では85メートルに及び、解析結果同士の数値にばらつきは見られるものの、2004年のスマトラ地震における最大変位量が約15メートルと推定されていることと比較しても、非常に大きな破壊が発生したのは間違いないと考えられる。この大きな破壊は比較的狭い地域で起こっており、120×40キロという狭い範囲から放出されたエネルギーが、地震全体のエネルギーの約60パーセントに当たるとの解析もなされている。 第二の破壊過程で最も大きな破壊が起きたのは、多くの地震波の解析によれば震源より東側の日本海溝に近い比較的浅い場所となっているが、少数だが震源より西側の破壊が大きいとの解析結果もある。多くの解析結果に従うと地震発生後約40秒から80秒後にかけて、震源東側の日本海溝付近の比較的浅い場所で極めて大規模な破壊が進行し、主にゆっくりとした変動に伴って発生する長周期の地震波が放出された。GPS、海底地殻変動、そして津波のデータから分析された地殻変動からも、震源東側の日本海溝付近で極めて大きなすべりが発生したことが示されており、日本海溝付近のプレート境界で数十メートルのすべりが発生した可能性が高い。 地震発生後約60秒から100秒後にかけて、今度は地震の破壊が再び西側に広がった。第一の破壊で震源の西側に破壊が広がったことを考えると、震源西側は第一回と第二回の破壊が折り重なるように発生したことになる。西側に広がった第二回の破壊は日本海溝沿いの大規模な破壊と異なり、短周期の地震波中心のものであり、宮城県や岩手県内の強震観測で検出された第二のピークの短周期地震波に当たると考えられている。またこの西側に広がった破壊によって、宮城県沖地震の想定震源域付近も破壊が進行したと見られている。 なぜ第二の破壊過程で数十メートルにも及ぶ大きなすべりが発生したのかについては、いくつかの仮説が提唱されている。まずこれまでに例えば大きなすべりが発生した場所には極めて固着が強いアスペリティが存在していて、数百年に一度そのアスペリティが破壊される際には、周囲を広く巻き込み超巨大地震となるというモデル、東北地方太平洋沖は全体的に普段はアスペリティとはならないが、条件が揃うとアスペリティとなるような場所であり、その中に小さく強いアスペリティが散らばっている構造をしており、通常は小さく強いアスペリティがマグニチュード7クラスの地震を起こしているが、条件が揃うとアスペリティが一気に破壊され巨大地震が発生するという、アスペリティに階層が存在するというモデル、今回の東北地方太平洋沖地震ではすべりの摩擦熱によってプレート間の水が膨張して間隙圧が上昇してしまい、通常よりも大きなすべりが発生してしまったというモデル、そして今回の地震ではすべり面の上盤が軟らかく、かつ極めて地下の浅い場所まで破壊が進行して最終的には日本海溝まで突き抜けてしまったため、歯止めが利かなくなって断層がすべり過ぎるダイナミック・オーバーシュートと呼ばれる現象が発生したなどのモデルが提唱されているが、現在のところまだよくわかっていない。なお前述のように地震発生直後の震源域での変位量自体が通常の大地震よりも明らかに大きいため、上記の仮説のうち摩擦熱が大きなすべりを誘発したとの説は成立し難いとの意見が出されている。 またこの非常に大きな破壊が東北地方太平洋沖地震が極めて大きな津波をもたらした大きな原因の一つとなった。特に三陸沿岸中心に大規模な被害をもたらした短周期かつ振幅の大きな津波は、日本海溝付近の大規模なすべりによって発生したものと考えられている。また第一の破壊過程、第二のうちで震源より西側の破壊過程はゆっくりとした水位上昇を起こす津波を励起させたと見られている。
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