山間部供給と小規模事業統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 18:32 UTC 版)
「長野電灯」の記事における「山間部供給と小規模事業統合」の解説
1920年代を通じて長野電灯の供給成績は拡大した。前述の通り電灯数は1921年下期に10万灯に到達していたが、6年後の1927年(昭和2年)下期には倍の20万灯を超え20万1022灯となった。同時点での動力用電力供給は3197馬力(約2,384 kW)である。電灯数についてはこの間1923年12月の西毛電気合併のみで2万6805灯の増加をみている。 1920年代前半、長野電灯の山間部への供給区域拡張を終えた。本社管内の上水内郡では、1922年(大正11年)1月より鬼無里村(現・長野市鬼無里地区)、同年12月その隣の日里村大字日下野(現・長野市中条日下野)で供給開始。1924年4月にはさらにその南側の栄村境沢集落にて供給を始めた。佐久支社管内では1924年2月より南佐久郡北相木村、同年7月からは南佐久郡南端の川上村でそれぞれ供給を開始。西毛支社管内でも1925年4月北甘楽郡秋畑村(現・甘楽町秋畑)での供給を始めた。長野電灯の営業報告書によると、これ以降に供給区域へ編入された町村はない。 ただし山間部に散在する小規模事業者を統合する形で、1920年代後半も供給区域は拡大を続けた。その第一号は親川電気からの電気事業譲り受けで、1925年3月17日付で逓信省より認可を得た。次いで丹生電気と小日向水力電気を統合した。前者は会社自体の合併、後者は電気事業の譲り受けという形式をとる。双方とも1926年9月25日付で逓信省から統合の認可を得ており、前者については10月1日付で合併を実施している。合併に伴う長野電灯の資本金増加は5万円。さらに6年後の1932年10月15日付で碓氷電気から電気事業を譲り受けた。これら統合4社の概要は以下の通り。 親川電気株式会社 1919年4月24日、資本金6000円で長野県南佐久郡小海村(現・小海町小海)に設立。翌1920年9月に開業した。供給区域は小海村の一部(長野電灯も同村の一部を供給区域に含む)に限られ、電源も親沢川に構える出力2 kWの直流発電所という小規模なものであった。 丹生電気株式会社 1917年6月9日、資本金1万3000円で群馬県北甘楽郡丹生村大字上丹生(現・富岡市上丹生)に設立。開業は1919年1月で、北甘楽郡のうち丹生村と高田村の一部を供給区域とした。丹生村内の丹生川に出力15 kWの水力発電所を持つ。 小日向水力電気株式会社 1920年4月4日、資本金5万円で群馬県碓氷郡九十九村大字小日向(現・安中市松井田町小日向)に設立。開業は翌1921年6月で、九十九村内を供給区域とした。自社発電所は建設せず碓氷電気からの受電のみで営業する。 碓氷電気株式会社 1919年8月20日、資本金10万円で群馬県碓氷郡細野村大字上増田(現・安中市松井田町上増田)に設立。開業は翌1920年10月で、碓氷郡のうち細野村と後閑村を供給区域とした。細野村内の中川に出力50 kWの水力発電所を持つ。 また1930年(昭和5年)3月31日付で東信電気より長野県南佐久郡南相木村での電気事業を譲り受けた。この東信電気は千曲川を中心に電源開発を手掛ける卸売り電力会社で、佐久地域にも多数の水力発電所を持つ。事業の中核は東京電灯への電力供給であるが、1925年4月より一般供給として南相木村での供給を始めていた。
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