富士重工業成立とは? わかりやすく解説

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富士重工業成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:56 UTC 版)

SUBARU」の記事における「富士重工業成立」の解説

1950年昭和25年6月勃発した朝鮮戦争は、戦後不況にあえぐ日本に「朝鮮特需」をもたらしただけでなく、GHQ日本の占領政策一変させた。1952年昭和27年4月サンフランシスコ講和条約発効すると、旧・財閥から民間賠償用としてGHQ接収されていた土地・建物所有者返還始まった富士工業太田三鷹工場)、富士自動車工業伊勢崎工場)を中心とした旧・中島飛行機グループ内での再合同動きにわかに活発化1952年昭和27年12月大宮富士工業大宮工場)、東京富士産業(旧・中島飛行機本社)を加えた4社が合併同意文書調印した。 同じ頃、1953年昭和28年)の保安庁(現:防衛省予算練習機調達予算計上され航空機生産再開向けてビーチ・エアクラフトT-34 メンター製造ライセンス獲得国内航空機メーカー各社一斉に動き出した当時、再合同途上にあった旧・中島飛行機グループも再合同動き加速させた。1953年昭和28年5月には、鉄道車両メーカーとなっていた宇都宮車輛宇都宮工場)が新たに合同参加することが決まり1953年昭和28年7月15日、5社出資による航空機生産事業目的とする新会社富士重工業株式会社発足した因みに丸の中に6つの星が描かれSUBARUロゴマークは、この「5社が集まって1つ大きな会社になった」ことを示している。 1954年昭和29年9月、6社が合併契約書調印1955年昭和30年4月1日富士重工業は、富士工業富士自動車工業大宮富士工業宇都宮車輛東京富士産業の5社を吸収し正式に富士重工業株式会社としてスタートした当時資本金:8億3050万円従業員:5,643名)。ロゴは「富士重工」で、「重」の1画目がない形になっており、長らく使用された。 旧・中島飛行機発動機開発拠点で、荻窪工場浜松工場引き継いだ富士精密工業は、中島飛行機合同動き本格化した1952年昭和27年)には、事実上、既にタイヤメーカーブリヂストン資本下に入っており、再合同には参加しなかった。また、この時再合同に加わらなかった、富士機械工業など3社は、後に富士重工業関連会社として加わっている。 富士重工業は、1966年昭和41年)に東邦化学株会社合併し存続会社東邦化学株会社とした。この存続会社東邦化学株会社1965年昭和40年)に商号富士重工業株式会社改めた上で合併しているため、一貫して継続した同一名称ではあるが、法律的に従来富士重工業1965年昭和40年)に一旦消滅している。これは株式額面金額変更目的事務的なのである1966年昭和41年)、それまで東京・丸内の内外ビルディング所在していた本社機能新宿駅西口新宿区西新宿)に自社建設した新宿スバルビル」に移転する

※この「富士重工業成立」の解説は、「SUBARU」の解説の一部です。
「富士重工業成立」を含む「SUBARU」の記事については、「SUBARU」の概要を参照ください。

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