富士天声村設立
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昭和59年(1984年)11月には静岡県富士市伝法にプレハブを作り、同地で布教活動を行うようになる。これを契機として同教団は富士市の地を拠点とするようになった。昭和62年(1987年)3月20日には、静岡県知事の宗教法人認証を受けた。法人登記の目的欄には次のように記載されていた。 『南無天法地源如来行』を本尊とし、『法の華三法行』の教義をひろめ、儀式行事を行い、信徒を教化育成することを目的とし、その目的を達成するために必要な業務を行う。 その後法の華三法行は同市厚原字大石に本部移転を行い「富士天声村」という本部研修場の建設を進めるようになった。天声村は昭和63年(1988年)建設の「天地堂」(1,483.16㎡)、平成元年(1989年)建設の「天行堂」(933.86㎡)、平成3年(1991年)建設の「寄宿舎」(668.96㎡)などからなり、平成5年(1993年)には社務所(1,521㎡)・温行館(842.30㎡)が建設された。法の華三法行の関連施設は本部所在地の富士市内だけでも相当な規模であり、平成7年時点で計21,120.64㎡(本部の所在する富士市のみ)にも上ったという。また渋谷区の統一教会本部に隣接する渋谷区松濤にも豪華な施設を構えた。「宗教を超えるもの」だとして「超宗」を自称し、都内の東海道新幹線や首都高速道路沿いに「天行力」の大看板を掲げ、テレビやラジオで放送枠買い取り番組を流したり、著書の広告を四大新聞に打つなどして知名度を上げ、東京ドームで「天行力大祭」を挙行した平成7年(1995年)の最盛期には、公称信徒数10万人を豪語した。また1995年のオウム真理教事件以降、福永は法師と呼ばせていたという。平成13年にかけては「天声村ユートピア完成計画」が練られ、天声大門(23m×10m×14.6m)が建設され毎夜ライトアップされた上に、蓮池金堂等も設けられる予定であった。しかしこの段階になると富士市の住民より苦情が相次ぐようになっていた。騒音・交通渋滞・修行者の徘徊、無造作な教団施設拡大計画が問題視されていたという。そのため平成8年には教団側は蓮池金堂の建設中止を決定した。
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