定義例とは? わかりやすく解説

定義例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 14:40 UTC 版)

自証」の記事における「定義例」の解説

仏教場合、saMvid(サンスクリット)の漢訳語。護法注釈による世親の『唯識三十頌』をインドから玄奘持ち帰り、『成唯識論』として訳出した際にこの語が用いられた。この唯識論法相宗)は存在論とその認識論探求し三科六識越え第七末那識において、第八阿頼耶識を見かつ相として、この自証が用の第三の分として起縁するとされる。さらにこの自証を相として第四の分である証自証を起縁するが、ただしこの証自証を相とする見は、その体である末那識がすでに用を覚知しているのでもはや第五分は生じない明治時代においてドイツ観念論日本輸入された際、カントの『純粋理性批判』の翻訳においてこの中仏教哲学唯識論との並行性認識され阿頼耶識相当する統覚に次ぐ末那識(意識(Bewusstsein))において、その自意識(Selbstbewusstsein)にこの「自証」の訳語用いられた。とくにカント哲学継承し展開したヘーゲルにおいては、その独特の論理学において自意識を持つものが自己定立存在するとされ、また、世界理性認識論存在論となって法哲学との連関持っていたために、「自意識という訳語よりもこの「自証という訳語が好んで用いられた(田辺元西田幾多郎戸坂潤井筒俊彦新田義弘などを参照)。しかし、その後ドイツ観念論をあくまで中国仏教哲学とは別個に文献批判として歴史的に研究する立場強まり上記のような独自の思想を持つ哲学者除いて今日自意識(Selbstbewusstsein)にこの「自証」の訳語当てることはかならずしも一般的ではない。 哲学者大阪芸術大学教授純丘曜彰は古い中国仏教哲学ドイツ観念論並行性にあえて再注目し、この「自証」という術語社会システム論において、存在概念の一として再定義した。すなわち純丘によれば、それは、本質本質的に認識述語付け)によるものとされる。その自己認識そのもの存在定立する論理的存在様式。私は、私であるところのものである、がその典型論理的にのみ存在定立されているために、外延において内包としての共通性持たないまた、純丘は、この概念を対証・衆証との関連において三対概念として再配置している。

※この「定義例」の解説は、「自証」の解説の一部です。
「定義例」を含む「自証」の記事については、「自証」の概要を参照ください。

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