契沖以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:07 UTC 版)
江戸時代の契沖が仮名遣についての研究を世にあらわす以前、仮名遣にはおよそ以下のような推移があった。 国語表記の始まった上代の借字(万葉仮名)では、上代特殊仮名遣が行われたが、平安時代初期に仮名が発達して借字が衰退し、同時に上代特殊仮名遣も衰退した。平安中期になると「天地の詞」にみられるような、えとや行えの区別が上代特殊仮名遣の衰退と共に薄れた。 こうした表記上の変化については、時代とともに日本語の音韻が以下のように変化したことによると推測されている。 平安初期に上代特殊仮名遣が消失、甲類乙類が同化。 平安初期から中期にかけての上代特殊仮名遣の衰退に合わせて、「え」と「ヤ行え」の区別が消失。 ハ行転呼が平安中期(ただし既に奈良時代から始まっていたとする論あり)から長い時間をかけて滲透、語頭以外のハ行音がワ行音となる。 平安中期以降、「お」の音が「を」に変化合流する。 平安中期あたりから「ゐ」・「ゑ」と「い」・「え」の混同が見られ、鎌倉時代にはほぼ合一する。 だいたいこれが主な表記同化の流れである。表記が同化した理由は、多く「音韻が変化したため」と推測されているが、上代特殊仮名遣に関しては特に異論が絶えない。ともかく何らかの理由、一般には音韻変化により表記が変則的なものとなり、合理性や正則性を重んずる上で不都合が生じたと推測されている。『仮名文字遣』の序文には「文字の聲かよひたる誤あるによりて其字の見わきかたき事在之」(文字の音が重なって誤りがあるから、だからその文字の区別を示す)とあり、つまり変則を誤りとして、正しい表記を指南する必要が生じた。これが仮名遣が考えられるようになった起こりである。ただし当時の仮名は、日常で使用する限りにおいては、その使用を妨げるほどの表記の混乱、すなわち変則はなかったことも指摘されており、この変則を交えながら慣習的に使われていた仮名遣は「平安かなづかい」とも呼ばれている。 鎌倉時代になると、藤原定家が仮名を表記する上での規範を必要として仮名遣を定め、その著作『下官集』の中でその語例を示した。のちに行阿がそれを補充整理して著したのが『仮名文字遣』である。このなかで示された仮名遣を行阿仮名遣とも呼ぶが、これが一般には「定家仮名遣」と称されるものである。その後この定家仮名遣が教養層のあいだで権威とみなされていた。『仮名文字遣』は以後もその語例が後人によって増補される修正がなされた(定家仮名遣の項参照)。 しかし、定家の調べた文献は充分古いものではなく、すでに音韻の変化により変則した表記を含んだものであった。また、「を」と「お」の仮名については、当時の語のアクセントに基づいて表記が使い分けられたので、上代のものとは異なる仮名遣を記す用例が出る結果となった。
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