契機となったミニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 18:19 UTC 版)
「フィアット・128」の記事における「契機となったミニ」の解説
その後、アレック・イシゴニスの設計で1959年にイギリスのBMCから発表された前輪駆動車開発名ADO15、ミニが、ダンテ・ジアコーサにも大きな影響を与えることになった。 「イシゴニス方式」と呼ばれるミニのレイアウトは、実用的な4気筒エンジン車としては最初の横置き前輪駆動であり(2気筒のミニカーでは横置き前輪駆動量産車の前例はあった)、小型化・省スペースに大きな成功を収めたもので、ジアコーサにも感銘を与えた。 だがイシゴニス方式は、エンジン直下にギアボックスを配置する「2階建て式」で、エンジンのオイルパンとギアボックスとが一体化した構造であった。これはエンジン回りが複雑で、開発に既存エンジンを利用する場合でも、エンジン設計・生産に大変更が生じてコストがかかること、またパワーユニット全体の高さがかさみ、最低地上高を確保することが難しいなどの欠点があった。 そこでジアコーサは、イシゴニス方式を凌駕する前輪駆動方式開発のため、その弱点を克服することを企図した。
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