契丹人による虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 05:31 UTC 版)
モンゴル人たちのうちにジャライルという名のドルルキン(枝族)出身の者たちがいた。彼らは70翼(クリエン:1クリエン=1千家族)あり、いくつかの部族はケルレン地方に住んでいた。このケルレン地方はヒタイ(契丹)人の地に近かったため、ヒタイ人の軍勢がジャライルの地に侵入しようとしていたが、間にケルレン川が流れており、容易に渡れる様子ではなかった。それを見たジャライルの人たちはヒタイ人が渡れないのをいいことに、彼らをからかってはやしたてた。怒ったヒタイ人たちはその夜のうちにイカダを作り、川を渡ってジャライル部族の女から子供にいたるまで皆殺しにし、財産を奪っていった。
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