契丹・奚・豆莫婁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:10 UTC 版)
契丹は4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。契丹、奚、豆莫婁、室韋は東部鮮卑の流れを汲むとされており、その言語は同じであるとされる。 契丹は10世紀に耶律阿保機のもとで国家を整備し、王朝(遼)を築いた。1004年には北宋と澶淵(せんえん)の盟を結び、北宋から遼へ莫大な財貨が毎年送られるようになると、経済力を付けた遼は東アジアから中央アジアまで勢力を伸ばした強国となった。しかし遼の上層部は次第に堕落し、内部抗争も激しさを増したため、1125年、女真族の王朝金の侵攻により遼は滅ぼされた。その余勢は中央アジアに逃れ西遼(カラ・キタイ)を建国した。
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