契沖仮名遣い
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元禄時代になって国学が興るとともに、契沖が奈良時代から平安時代中期の文献を元に『和字正濫抄』(わじしょうらんしょう)を著した(1695年刊)。契沖は徹底的に文献に基づく実証的な研究を行った。そこで、定家仮名遣いが上代の文献とは相違することを突き止め、「濫れを正す」とした。 契沖の仮名遣いはすぐに受け入れられたわけではなかった。 橘成員は『倭字古今通例全書』を著して契沖の仮名遣いとは異なり、定家仮名遣いに近い仮名遣いを示した。契沖はこれを自著に対する批判と受け取り、『和字正濫通妨抄』で感情的な反論をしたがこれはついに出版されなかった。 契沖仮名遣いで用いられる仮名の体系は、いろは47文字の体系で解釈するものである。つまりア行のエとヤ行のエの区別や上代特殊仮名遣の区別などは採用されなかった。また契沖は五十音図を作成したが、「を」をア行に、「お」をワ行に宛ててしまった。これは後に本居宣長によって、現在と同じような位置に訂正された。 江戸時代中期には契沖仮名遣いを継承する国学者が現れた。楫取魚彦(かとりなひこ)の『古言梯』(こげんてい、ふることのかけはし、1768年ごろから刊)、そして本居宣長の『字音仮字用格』(じおんかなづかい、もじごえのかなづかい、1776刊)である。 宣長は、中国の漢字音を整理した『韻鏡』なども利用して、日本漢字音の仮名遣いを体系的に整理した。その結果、万葉仮名の「お」「を」がそれぞれア行、ワ行に属することが明らかになった。しかし、韻尾の -n と -m の区別を廃して一律に「-ム」としてしまった。これが誤りであることは後述する。その他にも後代に賛成を得られなかった点は少なくないが、字音仮名遣い研究の基礎となった。そのほか白井広蔭『音韻仮字用例』(おんいんかなようれい、1860刊)などもある。 契沖仮名遣いは、和歌・和文や国学の著作に用いられたが、日常の俗文をも規制するものではなかった。宣長も俗文を作文する際には当時一般の仮名の用い方をしている。
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