上代特殊仮名遣とヤ行のエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:47 UTC 版)
「仮名遣い」の記事における「上代特殊仮名遣とヤ行のエ」の解説
歴史的仮名遣いはいろは47字の体系で決められている。実際、少なくとも11世紀末から12世紀初頭にかけての頃には文字の区別として47字の区別があった。しかし一方、音韻の区別として47音の区別をする音韻体系であったのは、10世紀後半頃の比較的短い期間に過ぎない。それ以前はもっと多くの区別があったことがわかっている。 石塚龍麿は『仮名遣奥山路』(『仮字用格奥能山路』、かなづかいおくのやまじ、かなづかいおくのやまみち)を著し(1798序)、上代文献にはエに2種類あること、そしてキやコ、ヌなど十数個の仮名にもそれぞれ2種類の使い分けがあることを発見した。しかし宣長がその意義を認めなかったこともあり、出版はなされず、長く忘れられていた。大正に入り橋本進吉が「国語仮名遣史上の一発見 石塚龍麿の仮名遣奥山路について」という論文を発表し、龍麿の研究が再評価された。この万葉仮名の使い分けは以後「上代特殊仮名遣」と呼ばれるようになった。なおヌに2種類あったのではなく、その片方はノの一種であってノに2種類あったのだと考えられるようになった。 奥村栄実(てるざね)は『古言衣延弁』(こげんええべん)を著し(1829序、没後1891刊)、延喜・天暦(901-957)以前はア行のエとヤ行のエに区別のあったことを示した。そして仮名遣いとしてア行のエを「衣」、ヤ行のエを「江」を元にした仮名を主張した。一方ア行のイとヤ行のイ、ア行のウとワ行のウの区別をする説も当時あったのだが、実際はその区別のないことをも論じた。 栄実の仮名遣いもまた一般に知られなかったが、明治に入って大矢透が栄実の正しいことを論証し(『古言衣延弁証補』1907年、1932年単行本刊)、擬古文を書く際には仮名を区別すべきことを述べた。しかしこれもまた明治期の「歴史的仮名遣い」には影響を与えず、一部の学者の間で知られるに留まった。 契沖仮名遣いが「古代に復する」のであれば、これら十数個の音節を仮名遣いとして区別しなければならないはずとの考えもある。
※この「上代特殊仮名遣とヤ行のエ」の解説は、「仮名遣い」の解説の一部です。
「上代特殊仮名遣とヤ行のエ」を含む「仮名遣い」の記事については、「仮名遣い」の概要を参照ください。
- 上代特殊仮名遣とヤ行のエのページへのリンク