51全てが異なる字・音: 江戸後期から明治
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「五十音」の記事における「51全てが異なる字・音: 江戸後期から明治」の解説
「仮名遣い#上代特殊仮名遣とヤ行のエ」も参照 現在では五十音図のヤ行、ワ行には、ア行の「い」「う」「え」が再登場する。 しかし江戸時代後期以降、これらにも独自の文字を割当てる動きが見られた。これは五十音図と日本語の音韻の関係に関する興味に由来する。 鱸有飛 (1756年-1813年) は「え」と区別するためにヤ行エ段を「エ」の文字を置き、「え」の位置には「エ」の字の上の横棒が無い仮名を提唱した。漢学者の太田全斎は『漢呉音図』(文化12年、1815年) において漢字音上での区別のために、五十音図全てのマスの音を異なる漢字で表した。国学者の富樫広蔭は音義説の立場から『辞玉襷』(文政12年、1829年)で50音の各字を仮名で書き分けた。また洋学の立場からも、大槻玄幹は『西音発微』(文政9年、1826年) で五十音の全ては異なる発音であり、それが日本語の「古音」であるとした。一方で村田晴海や岡本保孝は、元々五十音図は国学の為に作られたものではないために、その理屈を日本語の音韻体系の理解のために通す事には慎重であった。 明治の教科書や教員向けの指導書では、ヤ行イ段、ヤ行エ段、ワ行ウ段に、「い」「う」「え」以外の「文字」を配したものも多く見られる。たとえば『小学教授書』(明治6年、1871年) 、『小学入門』初版 (明治7、8年、1874、5年) 、『日本文典: 中学教程』(明治30年、1897年) などがある。しかし統一された動きではなく、たとえば『小学入門』では、初版の翌年の版からは、現在見るようなものに改められた。 これらの「文字」の形も統一されなかった。国学者鈴木重胤 (文化9年、1812年 - 文久3年、1863年) が『語学小経』で示した図には、順に「イ」の字を180°回転したもの、「衣」の字からナベブタを除いたもの、「卯」の字の左半分が使われた。『小学入門』初版では、「イ」の字を180°回転したもの、「エ」の字の上の横棒を右上から左下に払うようにしたもの、「于」の字が使われた。これら以外の「文字」も平仮名・片仮名両方の五十音図で確認できる。 明治33年 (1900年) に仮名が1文字1字体 (いわゆる変体仮名の廃止) とされた時には、や行とワ行は「やいゆえよ」「わゐうゑを」であった。 「綴字篇」より。1873年、万温堂、魁文堂。50音のマス全てが、異なる文字で埋められている。綴字篇、平仮名の50音図 綴字篇、片仮名の50音図
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