岡本保孝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 労働 > 職業 > 国学者 > 岡本保孝の意味・解説 

おかもと‐やすたか〔をかもと‐〕【岡本保孝】

読み方:おかもとやすたか

[1797〜1878]幕末・明治初期国学者江戸の人。清水浜臣(しみずはまおみ)・狩谷棭斎(かりやえきさい)に和文考証学んだ。著「韻鏡考」「難波江」など。


岡本保孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/14 03:13 UTC 版)

岡本 保孝(おかもと やすたか、1797年8月21日寛政9年7月29日)- 1878年明治11年)4月5日)は、江戸時代末期から明治時代の国学者旗本である。号は況斎等。字は子戒。通称は縫殿助後に勘右衛門。本姓は若林。

経歴・人物

江戸幕府旗本の若林包貞の次男として江戸に生まれる。後に岡本保修の養子となり岡本と改姓する。その後、学問に専念し清水浜臣及び狩谷棭斎の門人となり、儒学や国学を学ぶ。

これによって、和漢の概念を持った著書を出版し、考証をよくした。明治維新後は昌平大学の修士となり、この学問を取り入れた蔵書を数多く執筆した。なお、保孝には数多くの門人がおり、執筆した蔵書は現在主に国立国会図書館静嘉堂文庫が所蔵している。

主な著作物

主著

その他の著書

出典

外部リンク




岡本保孝と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岡本保孝」の関連用語

岡本保孝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岡本保孝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岡本保孝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS