51年綱領の採択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 00:36 UTC 版)
「日本共産党第5回全国協議会」の記事における「51年綱領の採択」の解説
詳細は「51年綱領」を参照 「五全協」では、「51年綱領」が無修正で採択された。「51年綱領」で武装闘争不可避論、武装闘争路線、暴力革命路線および「軍事方針」が採択されたことにより、全国各地で様々な事件が多発した 。当時の日本共産党は山村工作隊や中核自衛隊などの非合法組織をつくり、1952年以降は火炎瓶闘争を展開した。 武装綱領と呼ばれた「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」では、日本民族の独立を第一義とした「民族解放民主革命」を理想とし、「軍事組織の最も初歩的なまた基本的なもの」として「中核自衛隊」が唱えられた。 軍事組織の最も初歩的なまた基本的なもの、現在では中核自衛隊である。中核自衛隊は、工場や農村で国民が武器をとって自らを守り、敵を攻撃する一切の準備と行動を組織する戦闘的分子の軍事組織であり、日本における民兵である。 — 日本共産党第5回全国協議会「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」、1951年(昭和26年)10月16~17日.
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