奈良県興福寺旧境内土壙(一乗院宸殿跡下層)出土品
主名称: | 奈良県興福寺旧境内土壙(一乗院宸殿跡下層)出土品 |
指定番号: | 491 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1994.06.28(平成6.06.28) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 一括 |
時代区分: | 奈良 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 興福寺旧一乗院下層出土の施釉陶器類を中心とする一括である。 出土地は、奈良市登大路町に所在する奈良地方裁判所構内で、興福寺旧境内にあたる。一乗院は、天禄元年(九七〇)に、興福寺の別当定昭僧都創建の興福寺子院で、康平三年(一〇六〇)以降、数度の罹災が記録されている。 昭和三十八年、裁判所の改築等に伴う整備事業のため発掘調査が行われ、その結果、宸殿下層からは各火災以前の宸殿遺構や庭園跡が検出されたが、天禄創建の基壇と礎石地業のさらに下層から、東西二〇メートル、南北二五メートル、深さ〇・六メートルの土壙が見つかり、焼土と共に多量の施釉陶器等が出土した。一乗院創建以前のこの地は興福寺北僧房にあたり、遺物が土壙内に投棄されたのは、天慶二年(八七八)の僧房火災か、延喜四年(九二八)の興福寺火災の後の可能性がある。 本件は、この土壙から出土した施釉陶器類、須恵器、土師器、黒色土器、瓦類からなる。施釉陶器は、三彩、二彩、緑釉、灰釉と多彩で、器種も豊富である。特に緑釉陶器には見るべきものが多く、蓋・羽釜【はがま】・火舎【かしや】・甑【こしき】など類例の少ないものが含まれる。三彩の坏・火舎、二彩の多口瓶【たこうへい】も注目される。灰釉には蓋・水瓶・浄瓶・水滴がある。須恵器には火舎蓋・浄瓶・各種の硯、土師器には角盤があり、日常生活用具としての坏・皿以外の器種が多く、仏事に関係して使用されたものが主体を占める。 以上本件は、罹災のために一部に変色等がみられるとはいえ、その多彩な器種と量は他を凌駕しており、奈良時代の施釉陶器の組成や技法、さらには使用の実際を知る上できわめて貴重である。 |
考古資料: | 奈良県山田寺跡出土品 奈良県島の山古墳出土品 奈良県橿原遺跡出土品 奈良県興福寺旧境内土壙 奈良県黒塚古墳出土品 子持勾玉 子持壺形須恵器 |
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