太政大臣と摂関の分離とは? わかりやすく解説

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太政大臣と摂関の分離

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:03 UTC 版)

太政大臣」の記事における「太政大臣と摂関の分離」の解説

基経寛平3年891年1月薨去したあと、基経の子孫たちのなかから、忠平、実頼、伊尹、兼通、頼忠が相次いで太政大臣就任している。いずれも、まず、基経によって確立され摂政または関白地位に就いてから、その地位にふさわしい官職として太政大臣任命されるやり方とっている。この間100年摂関太政大臣はつねに一体のものとしてあった。 これが変化するのは、寛和2年986年6月花山天皇の突然の退位のときのことである。代わって践祚した一条天皇のもとで、天皇外戚関係のない関白太政大臣頼忠は、一条天皇外祖父右大臣藤原兼家関白を譲ることになった一条天皇はまだ6歳であったから、兼家は関白改め摂政となったこれまでの慣例からすれば、兼家が太政大臣となるのが自然な流れであるが、頼忠が引き続き太政大臣在任しており、なんら罪があるわけでもない頼忠から太政大臣官職を奪うことは困難であった関白は、もともと天皇交代とともに自動的に退任し改め新天皇から指名されるものであり、頼忠に罪があって解任されわけではない)。そこで兼家は、同年7月右大臣辞任した太政大臣以下の太政官既存官職から超越して、ただ摂政という立場のみに基づいて権力をふるうことを選んだのである。兼家は准三宮となり、さらに、その後摂関特権ひとつとして定着することになる「一座の宣旨」を与えられて、三公の上列することとされた。このとき、摂関太政大臣決定的に分離した太政大臣実権は完全に摂関吸収され太政大臣単なる名誉職へと変化することになる。 兼家は頼忠の死後短期間太政大臣務めたが、父兼家の跡を継いで摂政となった藤原道隆は自らは太政大臣はならず、かえって叔父の為光を推薦して太政大臣据えた正暦2年991年9月基経以来摂関経ず太政大臣になった最初の例である。道隆はついに太政大臣になることがなかった。次の関白藤原道兼も同様である。ついで、藤原道長短期間在任はさんで治安元年1021年7月道長叔父公季がやはり摂関経ず太政大臣となった太政大臣摂関家庶流長老処遇するための名誉職として定着してゆく。 また、摂関の職が道長その子頼通の子孫(御堂流)に定着し、ときの天皇との外戚関係左右されずに世襲されるうになると、摂関家に代わって皇后輩出した家系から、かつての良房や基経のように、外戚関係足がかりにして太政大臣任じられる者も現れる。その最初の例は、保安3年1122年12月太政大臣となった源雅実である。雅実は、白河天皇皇后藤原賢子藤原師実養女)の弟であった。これ以降これまでどおり摂関あるいはその経験者太政大臣となる例と並行して、雅実が属す村上源氏のほか、公季の子孫である閑院流、やはり摂関家庶流である花山院家中御門流大炊御門家へと次第太政大臣就任者は拡大してゆく。「摂関はなれない太政大臣にはなれる家格としての清華家成立してくることになる。逆に摂関家清華家出身でない者が太政大臣任命されることは、その家が清華家家格へと上昇したことを意味した平清盛足利義満の例がこのケースである。 太政大臣名誉職であることを前提に、太政大臣は「その職を務めて権限行使すること」よりも「その職に任命されること自体に意味があるもの」となってゆく。「太政大臣」と「前・太政大臣」とは、その意味においてほとんど同じものとなったのであるこのため太政大臣在任期間1年前後短期間であることが多い。特に、清華家出身者太政大臣となる場合、それはしばし引退花道意味した天正14年1586年12月から足かけ12年わたって在任した豊臣秀吉は、中世近世では稀有例外である。このケースでは、太政大臣頂点とする秀吉独自の武家官位制構想されていたもの考えられるが、その実態は秀吉の死と豊臣家滅亡により永遠の謎となった

※この「太政大臣と摂関の分離」の解説は、「太政大臣」の解説の一部です。
「太政大臣と摂関の分離」を含む「太政大臣」の記事については、「太政大臣」の概要を参照ください。

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