武家官位制
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秀吉の従一位・関白・太政大臣への昇進に伴い、一族のみならず武家公卿が誕生した。豊臣政権を通じた従属諸大名の官位昇進は統御の一環として利用された。(公卿とは官職で参議以上、位階で三位以上であり、大臣は○○公、その他の公卿は卿と呼ばれた) 1565年(永禄8年)の武家公卿足利義輝(当年死去)、北畠具教、姉小路良頼。 1582年(天正10年)の武家公卿織田信長(当年死去)、織田信忠(当年死去)、足利義昭。 1598年(慶長3年)の武家公卿太政大臣:豊臣秀吉(当年死去)。 内大臣:徳川家康。前権大納言:前田利家。 権中納言:織田秀信、上杉景勝、毛利輝元、豊臣秀頼、前田利勝(利長)。前権中納言:小早川秀秋、徳川秀忠、宇喜多秀家。 参議:結城秀康、毛利秀元、丹羽長重、織田秀雄。 秀吉により武家公卿が増えた分、公家が公卿から外れ公武摩擦の不安定要因となり、最終的に徳川家康が1611年(慶長16年)に武家官位を朝廷官位の定員外とすることで決着した。
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