太政大臣説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 11:39 UTC 版)
根拠 信長が平氏を自称し、平清盛と同じ旗印を用いていること 2月に太政大臣に就任したばかりである近衛前久が、5月になって急に辞任していること 本能寺の変後の7月17日、羽柴秀吉から毛利輝元に宛てられた手紙において、秀吉が信長のことを「大相国」と呼んでいること 10月、朝廷において、信長に対する太政大臣贈官が論じられたこと その結果、朝廷から出された贈官の宣命には「重而太政大臣」の語句があり、これを太政大臣の辞令が出されたのが2度目であると解釈するなら、1度目の辞令は三職推任問題の時に既に太政大臣就任の内諾を信長から得た時、非公式に出されていたと解釈できること。
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