大食いフードファイター
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「もえのあずき」の記事における「大食いフードファイター」の解説
アイドル活動初期の頃より、フードファイトや大食いに関する仕事を始めている。師匠は元フードファイターの赤阪尊子。家族全員がよく食べる家系だったため、自分が特に大食いだという自覚がなかったという。 世間から大食いとしてまず知られるようになったのは、2012年10月19日、26日に放送されたTOKYO MX『つんつべ♂』番組内の企画「つんつべ♂大食いアイドル選手権」で、この大会で2時間中にAKIHABARAバックステージpass店舗13メニューを完食し、2位以下に圧倒的な差をつけ優勝する(この番組企画がタレントとして初めて大食いの様子をTVで披露したことになる)。そして、この食べっぷりを見たつんく♂が「あいつは本家(『元祖!大食い王』)に出れるね」と発言し、後の元祖!大食い王決定戦出場へと繋がる。 2013年9月28日放送の『元祖!大食い王決定戦〜真!最強伝説〜』大阪予選にて、初めて元祖!大食い王決定戦に出場する。炎天下の屋外での男女混合戦で、揚げたての「黒にんにくカレーパン」を30分で25個を食べて4位になったものの、本戦に進出することはできなかった。 2014年1月1日放送の『元祖!大食い王決定戦〜全国縦断!新女王発掘戦〜』では青森予選を突破し、決勝戦へ進んだ。本人としては地元関西の滋賀予選に出場したかったが、所属しているバクステ外神田一丁目のライブツアーの日程と重なっていたため、スケジュールの合う青森予選での出場となった。 2014年4月からは、TV初主演で初レギュラーとなるHTB『食べる女』放送開始や、大食い企画で週刊大衆ヴィーナスでの雑誌連載開始、さらにテレビ東京『腹ペコ!なでしこグルメ旅』にて大食いなでしこメンバー入りし、大食いタレントとしての活動も本格的に始める。今まで満腹になった経験が無かったが、仕事として過酷な大食い企画を重ねるようになって、初めて「お腹いっぱいでもうこれ以上食べたくない」という感覚を味わったという。 2014年9月28日、男女混合戦に於いて準優勝という記録を残した『元祖!大食い王決定戦〜新世代最強戦〜』放送後には、ブログアクセスが47万5千に上り、翌29日のアメブロ女性アイドルランキングで3位を記録した。 2015年3月29日に放送された『元祖!大食い王決定戦〜新爆食女王襲名戦〜』にて優勝し、これによりギャル曽根から続く第5代目女王として正式に認定される。素人参加から番組で注目され大食いタレントへ転身するケースは多いが、初回から芸能人として参加して優勝までたどり着いたのは番組でも初めてのケースである。 2016年4月3日に放送された『爆食女王新時代突入戦』でも優勝を飾り、爆食女王史上3人目となる二連覇達成を成し遂げる。この大会をもって22年間続けた司会の勇退を表明した中村ゆうじから最後の優勝コールを受けた大食い王となった。 2017年5月14日放送の『爆食女王 女たちの下克上戦記』では特別招待選手として三代目爆食女王の正司優子が参戦し、新旧女王対決が実現した結果、もえのが優勝をし女王戦三連覇を達成する。このハワイでの決勝戦の場につんく♂が応援に駆けつけており、アイドルそして大食いタレントとしてのきっかけを与えてくれた恩師であるつんく♂の激励がより励みになったと後にブログで語っている。 台湾でも日本の大食い番組が人気で台湾交通部観光局が行う「2016年台湾夏至235キャンペーン」にて同キャンペーンとしては初の外国人タレント起用となる夏の台湾観光美食大使に任命される、2016年7月19日に観光局の劉喜臨副局長と共に台北市内で記者会見を開き台湾国内各種のマスメディアが報じた。 主な大食い記録としてわんこそば900杯、卵かけご飯7kg、ウエディングケーキ5kgなどがある。
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