大野 佐吉とは? わかりやすく解説

大野 佐吉 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:11 UTC 版)

鮒佐」の記事における「大野 佐吉 (初代)」の解説

大野 佐吉(おおの さきち、天保2年1831年)? - 明治39年1906年6月1日)は、江戸時代後期商人北辰一刀流達人ありながら醤油魚貝類煮込むという今日食される佃煮の形を創り上げた人物佐吉とも呼ばれていた。 天保2年1831年)に下総国郷士であった大野與惣兵衛の子として、下総国葛飾郡九日市(現 千葉県船橋市本町)で誕生する嘉永年間入り佐吉は剣の腕を磨くために江戸移住する。そこで佐吉は、神田於玉ヶ池玄武館入門師範千葉周作のもとで北辰一刀流学んだ佐吉腕前免許皆伝こそ叶わなかったものの、明治には佃煮製造傍ら自身道場持ち門下生抱え諸流剣術試合開催するなどその腕前確かなものであった剣術修行に励む中で佐吉川合銀と結婚。8男5女を儲けた。後に浅草柳橋(現 東京都台東区柳橋)に住む銀の親戚頼りに、浅草瓦町(現 東京都台東区浅草橋)に土地購入した江戸で剣術修行に励む佐吉であったが、時代幕末揺れ動く世の中見て商人将来性感じた佐吉武士の身分捨て商人となることを決意する佐吉今後商い探すため江戸三日三晩歩き続けた末、江戸四宿1つである千住名物すず焼き』と出会う当時江戸市中ではすず焼き売られておらず、佐吉の売るすず焼き江戸で好評得た。これにより、佐吉は『佐吉』と呼ばれるようになった安政年間入り佐吉隅田川趣味釣り出かけるその際暴風雨遭い佃島漂着する漂着した先で地元漁師振舞ってくれた「雑魚塩煮」に感銘を受ける。なお、雑魚塩煮安政5年1858年)に棒手振り青柳才助によって、「佃」島の塩「煮」から「佃煮」と名付けられる当時佃煮魚貝類一色単海水煮込んだものであった雑魚塩煮目を付けた佐吉は、当時大変高価であった下総醤油具材煮込むことを考案。さらに、具材従来のように一色単に煮込まず種類ごとに煮込むという画期的な佃煮生み出した文久2年1862年2月15日佃煮専門店開業店名自身屋号である『屋』と自身の名前である『佐吉』から『鮒佐』と名付けた佐吉の生みだした佃煮江戸で瞬く間人気得た明治年間佐吉佃煮缶詰にして販売することを思いつく。そこで3男 廣吉を3ヶ月渡米させて、缶詰業の視察命じる。その後佃煮缶詰販売されることはなかった。明治39年1906年6月1日75歳没。 佐吉死後、5男 開之助が佐吉の名前と店を受け継ぐ。それ以後鮒佐当主戸籍上から佐吉の名前を襲名佐吉編み出した製法は、160年続く現在も名前と共に変化することなく受け継がれている。現在、佐吉の名前と技は曾孫である五代目 大野佐吉に引き継がれている。

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