大小一揆と賀州三ヶ寺粛清とは? わかりやすく解説

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大小一揆と賀州三ヶ寺粛清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:02 UTC 版)

享禄・天文の乱」の記事における「大小一揆と賀州三ヶ寺粛清」の解説

本福寺との争い勝利した蓮淳は再び中央政界目を向けた大永7年1527年)反本願寺細川高国に対して三好元長擁立する細川晴元(澄元の子)が挙兵した際に側近下間頼秀・頼盛兄弟晴元側に派遣して支援をした。これに対して晴元北陸にある高国荘園占拠要望し蓮淳はこの処理に自分の婿である超勝寺実顕下間頼秀任じた超勝寺先の本覚寺蓮恵一件以来本覚寺並んで賀州三ヶ寺から圧迫受けていたが元々は蓮如以前からの由緒のある末寺であり、北陸全域門徒抱えており、「北の超勝寺・南の本覚寺」と呼ばれてきた状況加賀一向一揆後も変わりがなかった。 実顕法主証如名義出された舅蓮淳命令をたてに賀州三ヶ寺に相談もなくこれらの荘園代官自己の門徒交代させていった。これに対して賀州三ヶ寺側の蓮悟蓮綱慶)父子顕誓実悟本願寺抗議するとともに実顕下間頼秀糾弾した。そして享禄4年1531年)閏5月9日賀州三ヶ寺は「三法令」・「一門一家制」違反などを理由超勝寺討伐命令下した。ところが、超勝寺先の一件恨みを抱く本覚寺蓮恵救援受けた上、更に北陸各地にいる両寺の門徒蜂起させたために賀州三ヶ寺は思わぬ苦戦を強いられる。更に急遽山科本願寺戻った下間頼秀報告受けた蓮淳実顕行為あくまでも法主命令従ったものであり、その命に逆らうものは法主への反逆であるとして超勝寺全国門徒に対して賀州三ヶ寺の討伐命令証如の名で発したのである6月には東海地方畿内門徒山科結集して実如の子である実円下間頼盛率いられ出陣し門徒として知られていた飛騨内ヶ島氏支援受けて飛騨山中から加賀侵入した。これを見た賀州三ヶ寺側の門徒動揺激しく、「仏敵」になることを恐れた寝返り相次いだため、松岡寺本泉寺はたちまち超勝寺援軍主力とする本願寺軍の手奪われた。これに対して本願寺打撃与え機会狙っていた越前朝倉孝景賀州三ヶ寺の支援のために加賀出兵続いて能登畠山氏一族能の実兄畠山家俊も甥である実悟救援理由主君畠山義総許し得て加賀出兵した。名目上加賀守護で富樫泰高の孫の富樫稙泰・泰俊父子賀州三ヶ寺側に参戦した9月26日加賀手取川において朝倉教景(宗滴)・賀州三ヶ寺連合軍本願寺軍を一旦は破るものの、11月津幡戦いで逆に本願寺側の反撃によって畠山家俊らが討ち死にし潰滅し、賀州三ヶ寺最後光教寺陥落した。この戦いで蓮綱幽閉され間もなく死去慶は処刑され蓮悟顕誓実悟加賀脱出して全国末寺門徒に対して引き続き追討命令下され6年後の旧賀州三ヶ寺門徒の本覚寺襲撃計画理由正式に破門された。富樫稙泰加賀守護の地位追われた。 これによって本願寺法主頂点とする支配体制完成し同時に主だった一族ことごとく粛清した外祖父蓮淳法主証如擁して絶対的な地位築き上げることになる(さすがの蓮淳兄弟や甥を殺害した追放したことを後には後悔したらしく、乱から19年後の死の間際になって証如要望して顕誓実悟生き残り復帰認められている)。この内紛は一向一揆同士戦い発展した事から、本願寺法主命令奉じ超勝寺本覚寺側を「大一揆」、加賀の国主権限を認められながら反逆者として粛清され賀州三ヶ寺側を「小一揆」と呼ぶ事からこれを「大小一揆」とも呼ばれる。 これによって加賀初めとする北陸地方門徒本願寺派遣の代官による直接支配下置かれることとなり、天文15年1546年)にその象徴として加賀金沢尾山御坊建立されることになる。なお、この内に際して顕誓の兄で安養寺御坊勝興寺住持実玄大一揆に与したために越中本願寺直接統治はならず勝興寺瑞泉寺並んで越中一向一揆指導者になっていった。

※この「大小一揆と賀州三ヶ寺粛清」の解説は、「享禄・天文の乱」の解説の一部です。
「大小一揆と賀州三ヶ寺粛清」を含む「享禄・天文の乱」の記事については、「享禄・天文の乱」の概要を参照ください。

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