外相・欧州議会議員
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「ブロニスワフ・ゲレメク」の記事における「外相・欧州議会議員」の解説
アレクサンデル・クファシニェフスキ大統領政権下 (1995-2005)、1997年から2000年までイェジ・ブゼク内閣 (1997-2001) の外相を務め、特にポーランドの北大西洋条約機構 (NATO) および欧州連合 (EU) 加盟に尽力した。1998年、欧州安全保障協力機構 (OSCE) の議長に就任。カール大帝賞を受賞。2000年12月に外務省賓客として来日し、河野洋平外相と会談。早稲田大学から名誉博士号を授与された。 ポーランドの欧州連合加盟後の2004年に自由連合から欧州議会議員に選出された。さらに議長候補に推されたが、ゲレメクの得票208票に対してスペインのジョセップ・ボレルが388票の絶対多数を獲得した。 ポーランドでは1997年に、公職に就く者が1944年7月22日から1990年5月10日までの期間の国家保安機関における活動もしくは勤務またはそれらの機関と協力したか否かについて、国民記憶機構への声明の提出を義務づける「浄化法」が成立し、以後、その定義・対象が拡大され、とりわけ、2007年に成立した改正法(情報開示法)では約70万人を浄化対象者とし、新たに対象とされたジャーナリストや知識人を中心に厳しい批判と市民的不服従の動きが広がっていた。2007年、ゲレメクが情報開示法に基づく浄化声明の提出を重ねて拒否し、国家選挙委員会が声明の不提出は欧州議会議員の地位の喪失をもたらすという態度を示したために、欧州各国でゲレメクを支持する声が上がった。ハンス=ゲルト・ペテリング欧州議会議長にゲレメクの地位喪失の通知を提出したポーランドのルドヴィク・ドルン(ポーランド語版)下院議長は、「状況は私にとっては明らかだが、このように国際的な反響を呼んだ以上、すべて法に従って行われたことを誰にも疑われないような対応が必要である」とし、ペテリング議長と非公開の会談を行った。ゲレメクは、この情報開示法は「民主主義の欧州では受け入れ難い」、「現行のままでは道徳規則に違反し、言論・報道の自由、報道機関の独立性、大学の自治を脅かす」と説明した。ドイツのマルティン・シュルツ議員は、人権侵害国の欧州理事会での投票権の剥奪について定めたニース条約第6条・第7条に言及した。5月11日、ポーランドの憲法法廷は浄化法改正法をその大部分において違憲とした。 2006年、アンリ・リーベン(フランス語版)の遺志を継いでスイス、ローザンヌ大学内欧州ジャン・モネ財団(フランス語版)の代表に就任した。欧州ジャン・モネ財団は欧州統合の父ジャン・モネが設立した学術機関であり、モネをはじめとし欧州統合に尽力した人々の個人文書を管理している。
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