外省人の入台と本省人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 02:02 UTC 版)
1895年から1945年までの日本統治時代を経て、ポツダム宣言受諾による日本の降伏以降、外省人が入台するが、その時期には大きく分けて二つある。第1期は、「台湾光復」から1947年の2・28事件の前後に入った、大陸からの日本資産の接収のため派遣された者を中心とする。しかし、彼らは、資産接収の不正や失敗などから、台湾住民との間で激しい衝突事件すなわち2・28事件を引き起こした。この事件で蔣介石の国民党によって中国大陸から秩序回復に派遣された軍隊によって、1万8000人から2万8000人が殺されたとされる。この事件により、台湾の人口の少なからぬ部分が国民党政権による上からの国民統合政策に対して疎外感を持ってしまった。外省人の入台の第2期は、大陸での国共内戦が国府に不利であることが明らかになりつつあった1948年末にはじまり、国府中央が全面的に台湾に移転する1949年末前後にピークとなる。これ以降、国民党政権は自由を厳しく制限する権威主義的政治体制の下で、中央の政治権力を外省人エリートが独占し、本省人と外省人との間の権力分配の不平等が固定化されていった。
※この「外省人の入台と本省人」の解説は、「本省人」の解説の一部です。
「外省人の入台と本省人」を含む「本省人」の記事については、「本省人」の概要を参照ください。
- 外省人の入台と本省人のページへのリンク