外相更迭と議員辞職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 19:23 UTC 版)
ターニングポイントとなったのが、事務方との対立に起因する、2002年1月30日の外相更迭であった。当時は世論の圧倒的多数が更迭に反対して田中を支持、小泉内閣の支持率が一時的に急落するほどであった(読売新聞では下げ幅が30.7%に及んだ)。 2002年8月9日、自身の公設秘書給与の流用疑惑の責任を取る形で、議員辞職。2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に当選し国政へ復帰。院内会派「民主党・無所属クラブ」に加入。今度は以前に所属していた自民党に対して厳しい批判を繰り返すようになった。
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