塗色の変遷
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「国鉄キハ20系気動車」の記事における「塗色の変遷」の解説
1959年9月から一般形気動車は、外板色をそれまでの青系から、朱色4号の地色に、窓周りをクリーム4号の塗り分けとした新塗色へ移行した。 新塗色で落成した号車 キハ20 268 - キハ22 35 - キハ25 233 - キハ52 15 - キハユニ25 7 キハユニ26 9 - この他、一部の車両では準急列車への増結を目的として準急色(外板色全体がクリーム2号で雨樋と窓下部分の帯が赤2号)に塗り替えられた車両もあった。 1978年度から、朱色(朱色5号)単色塗装のいわゆる首都圏色への塗り替えが行なわれている。 ただし、定期急行「いなわしろ」運用を持つ小牛田運転区配置のキハ52型(126 - 128,143)は、例外的に首都圏色への塗り替えは行われなかった。 1982年11月のダイヤ改正の「いなわしろ」運用廃止後も、一部は1985年頃まで前項の朱色系の塗り分けを維持していた。 これらの内、1983年に事故車(キハ53 6)の補充として米子運転所に転属したキハ52 128は、2000年に廃車になるまで塗装変更されることはなかった。
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塗色の変遷
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「小田急電鉄の鉄道車両」の記事における「塗色の変遷」の解説
開業当時のぶどう色 戦後の車両に施された濃黄色と紺色の2色塗り 開業当時の電車の塗色は、全てぶどう色1色であった。 戦後、1910形で特急を運行する際に、前年に近畿日本鉄道(近鉄)2200系が特急の運行を再開した際にレモンイエローと青の2色塗りとしたものにあやかって、濃黄色と紺色の2色塗りとなったのが、小田急での2色塗装の始まりである。その後、1700形・2300形でもこの塗装デザインを特急色として踏襲した。また、高性能車であることを内外に知らしめる目的で、2200形以降の高性能車は通勤車両であるにもかかわらず特急色に塗られた。SE車登場以後、この濃黄色と紺色の2色塗りはHB車以外の全ての通勤車両に適用され、事実上の通勤車両標準色となった。 5000形の登場に際して、通勤車両の塗色を明るいイメージに変更することになり、ケイプアイボリーをベースにロイヤルブルーの太い帯を入れるデザインが採用された。車体がステンレス無塗装化されてからもロイヤルブルーの帯は2代目3000形まで継続された。2代目4000形では帯の色がインペリアルブルーに変更されている。 特急車両では、3000形SE車では、宮永岳彦のデザインによる、バーミリオンオレンジをベースに白とグレーの帯を入れたデザインが採用され、アレンジを加えつつ3100形NSE車・7000形LSE車にも継承されたが、10000形HiSE車では白ベースに赤の濃淡の帯が入るという直線的なデザインに変更された。20000形RSE車では窓周りと裾部分にオーシャンブルー(タヒチアンブルー)を配し、30000形EXE車ではハーモニックパールブロンズというメタリック調の色がベースになったほか、50000形VSE車ではシルキーホワイトがベース、60000形MSE車ではフェルメールブルーがベースとなっているが、いずれも小田急ロマンスカーであることを示すアクセントカラーとして赤系統の色が入れられている。 2600形「フラワートレイン」(1983年) 2代目3000形「F-Train」 通勤車両では特別塗装車の運行にも積極的で、向ヶ丘遊園でのイベント開催時を中心に特別塗装車両を運行させていた。平成期以降は少なくなったものの、3000形を中心に特別塗装車を運行させているほか、2600形の引退時には旧標準色の復刻塗装を実施している。
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