堀越公方としての活動とは? わかりやすく解説

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堀越公方としての活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:17 UTC 版)

足利政知」の記事における「堀越公方としての活動」の解説

長禄4年寛正元年1460年1月1日には鎌倉派遣されていた駿河守今川範忠帰国4月に政知の陣所である堀越国清寺が成氏方に焼き討ちされる事態にまでなり、政知は堀越御所に場所を移した。成氏討伐どころか自らの命さえ危うい状況であり、政知は使者京都へ向かわせ幕府と対応を協議8月斯波氏家臣ある朝倉孝景・甲斐敏光派遣され軍事力目処立った。しかし、政知が斯波軍の兵力背景鎌倉移ろうとすると8月22日義政制止された。これは幕府関東幕府方勢力である上杉氏堀越府が結びつき堀越府の自立することを恐れて幕府統制下で繋ぎ止めようとしたからであり、軍事指揮権も政知ではなく幕府掌握、政知の頭越し関東諸侯命令していたため政知に実権は全く無かった寛正2年1461年8月2日義政命令斯波氏家督交代が行われ、義敏の子松王丸出家代わりに渋川義鏡の子義廉が斯波氏当主となり、10月16日朝倉孝景甲斐敏光と共に義政対面正式に当主となった。この義政行動幕府統制継続させる代わりに堀越府の軍事力強化するためであり、政知の執事義鏡が斯波氏当主の父という関係を築き斯波軍を堀越府の直轄置こうとする処置からであった。だが、寛正2年から政知の家臣勝手に鎌倉相模国人の所領入部しようとしたり、扇谷上杉家家宰太田道真隠居、政知のもう1人補佐役・上杉教朝原因不明自殺遂げるなど関東幕府方不穏な動き見せ始める。 翌寛正3年1462年)に政知が義鏡の讒言信じ扇谷上杉家当主の上持朝の反逆義政通報したため上杉氏内部で政知擁立異論出され、政知は持朝の相模守護職停止させ相模接収したが、義政が政知に持朝の保護命令、持朝の重臣三浦時高千葉実胤らが隠居する騒ぎ発展した。ここに至り義政は自ら調停乗り出し、持朝ら扇谷上杉家地位保障する一方政争引き起こした義鏡を堀越府から追放して事態収拾させた。政知は結果的に自ら鎌倉入り可能性閉ざし、義鏡が失脚したため斯波軍の編成失敗終わった以後上杉政憲(教朝の子)が新たな関東執事として活動、政憲と共に上杉氏など関東諸侯との関係修復努め寛正6年1465年)に成氏が再び攻撃して来た時は政憲を前線五十子陣派遣している。また、義鏡の失脚斯波氏合力期待できなくなったため、代わりに駿河の国人衆との結びつき強め文明3年1471年)に堀越御所襲撃した成氏を上杉軍加勢撃破、成氏の本拠地古河城攻め落としたが、翌4年1472年)に成氏が復帰したため振り出し戻った文明8年1476年)、駿河守今川義忠戦死してお家騒動が起こると政憲を駿河派遣して扇谷上杉家家宰太田道灌と共に介入調停結果義忠従兄弟で政憲の外孫小鹿範満義忠の子龍王丸代理として置かれることになった。 この最中山内上杉家重臣長尾景春反乱起こし長尾景春の乱)、駿河から帰還した太田道灌反乱鎮めている最中に成氏が景春方味方して参戦危機陥った上杉家和睦考えるようになり成氏と幕府との和睦仲介約束して成氏と和睦、景春の反乱鎮圧後の文明14年11月27日1483年1月6日)、成氏と幕府和睦成立して享徳の乱終結した和睦に至るまで政知は成氏ら古河公方勢力20余年に渡る抗争繰り広げたが、幕府応仁の乱最中であったため満足な軍事力付与してもらうことができず、関東一円制することは叶わなかった。最終的に堀越公方和睦伊豆1国のみの支配者となり、政知は和睦進めた政憲とそれに同調した伊豆国人衆に不満を抱くようになった

※この「堀越公方としての活動」の解説は、「足利政知」の解説の一部です。
「堀越公方としての活動」を含む「足利政知」の記事については、「足利政知」の概要を参照ください。

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