地理の不正確さ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:54 UTC 版)
『水滸伝』には様々な地名が登場するが、それらの位置関係については、甚だ不正確である。既述のごとく、すでに『大宋宣和遺事』の段階においても、遙かに離れた太行山と梁山泊を同じ地名に押し込むという無理を生じている。 登場人物の一人、黄信(第38位)のあだ名「鎮三山」は、青州(山東省)に巣食う3つの山賊団である清風山・二竜山・桃花山(これらは架空の地名である)を一網打尽にすると普段から豪語していたことからついたものだが、この「青州三山」という表現は黄信が初登場する第33回以降、物語上でしばしば登場する(清風山の山賊が梁山泊入りした後は、代わって白虎山が入る)。しかし第5回で魯智深が五台山(山西省)から東京開封府(河南省)へ向かう途中に、桃花山の李忠と再会する場面がある。開封は五台山から見てほぼ真南にあり、その途上ではるか真東に存在する青州にあるはずの桃花山の近くを通るのは、全く理に合わない。 一方、二竜山はそこに拠る魯智深・楊志などが関西(陝西省)出身であること、元になった花石綱故事(宣和遺事)が太行山脈にまつわる逸話だったこともあり、話題に絡む周辺の地名(魯智深が二竜山の場所を聞いた孟州十字坡、楊志が生辰綱を奪われた黄泥岡など)は多くが太行山(山西省)系と思われる節があり、青州にあるという設定と矛盾する。特に楊志が第13回から第17回にかけて、北京大名府(河北省。現在の北京市ではなく邯鄲市にあたる)から西南方向の東京開封府へ向かう際「黄河を渡らず山道を使って二竜山・桃花山・黄泥岡・赤松林を通過する」という記述があるが、ここではるか東の青州にあるはずの二竜山・桃花山が登場するのは甚だ不自然である。これらの事実から、二竜山・桃花山・黄泥岡などの地名は本来、山東省の青州ではなく山西省の太行山系の地名として作られた可能性が高く、太行山系で育まれた物語群を梁山泊を中心とするストーリー構成に再編する際、華北一帯の地理に疎い編者によって地名が整理されないまま、青州の山としての記述が残されたことを示唆する。 ところが北方の地理の不正確性に比べると、南方の江南地域に関する記述は格段に詳細・正確になっている。特に終盤の対方臘戦(第91回から第99回)では、詳細な地名が正しい位置関係のまま登場している。ただし史実の方臘の乱で戦が行われた場所よりも、広い地域が舞台となっている。とりわけ杭州における攻防戦では、かなり詳細な地理が正確に反映されており、この部分の執筆を担当した編者は、華南の地理に相当詳しかったことが伺える。 また元代の雑劇(たとえば『李逵負荊』など)における冒頭の宋江の自己紹介では「江州牢城営に配流と決まった後、晁蓋兄貴に救われた」とあり、宋江は実際に江州へは行っていないような語りだが、現行『水滸伝』では第36回から第41回までは江州牢城において長く物語が展開し、多数の重要人物がその地で仲間となっている。これら杭州や江南地方の地理が詳細に書かれたのは、水滸伝成立の後半段階に入って、杭州近辺の物語作家が現地商人や離着任時に船便を使用した官僚などを想定読者とし、それら読者へのサービスとして書いたためと思われる。これらの事実から、中鉢雅量は太行山脈で培われた盗賊説話を梁山泊と結びつけ、全体を再構成したのは杭州近辺の編者であったと推測している。
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