国際性と地域性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 14:04 UTC 版)
『種蒔く人』では編集者である小牧が国際的な連帯を重視したこともあり、「東京版」では世界欄を設定しヨーロッパから直に送られてくるニュースを翻訳して毎号掲載していた。その内容は「飢ゑたるロシアの為めに」など、ロシア革命救援のための実際の行動を訴えるものでもあった。この「東京版」の誌面構成は、小牧がフランス滞在中に入手し、ひそかに日本に持ち込んで秘蔵していた非合法雑誌『ドマン(フランス語版)』の影響を大きく受けている。『ドマン』はスイス・ジュネーヴにおいて第一次世界大戦下の1916年、フランス人の評論家、アンリ・ギルボー(フランス語版)が主催して発行した非合法雑誌であるが、その内容は小牧が思想的に共感した第三インターナショナルの立場を取るものであり、かつ国際性豊かな執筆陣を抱え、幅広い思想を紹介するものであった。また、執筆陣には小牧のフランス時代の友人であるジャン・ド=サン・プリも加わっていた。『種蒔く人』は『ドマン』と異なり小説を掲載し文芸雑誌としての性格を色濃くもつことになるが、『ドマン』の存在は『種蒔く人』にとっての手本となるものであった。 国際情報を伝える一方で、「東京版」では投稿欄の中に地方欄を設定し、地方の読者からの投稿を受け付けている。小牧らの出身地である秋田からの投稿が最も多いが、必ずしも秋田偏重ではなく、青森県から関門海峡に至るまでの全国から投稿が寄せられていた。たとえば創刊号では、「争議の跡を訪ねて」と称して戦前最大の労働争議であった川崎・三菱造船所のストライキ後の様子についての取材が寄稿されている。前段で述べた通り『種蒔く人』では第三インターナショナルの立場に基づく国際的な協調を掲げた一方で、同時に地域主義を重視してグローバリズム(あるいはコスモポリタニズム)とローカリズムの両立を目論み、地方の言論の充実を訴えていた。したがって地方欄を設定した目的とは、『種蒔く人』本来の構想である、雑誌を中心にして理論を展開し実践に結び付ける一連の運動を実現するために、投稿を通じて『種蒔く人』に賛同する社会運動を伝えることで、その活動の輪を広げることを目指したものと捉えることが出来る。雑誌としての『種蒔く人』は「東京版」に移行する中で社会活動と文芸活動を明確に区別していくことになり、その際に近江谷(友治)、畠山は同人から離れているが、近江谷が中心となった秋田青年思想研究会や畠山が主催した赤光会などは、雑誌の呼びかけに呼応する形でロシア飢饉救済のための慈善活動を行っており、彼らは同人から離れながらも側面から『種蒔く人』を賛助していた。しかし、一時は全国の広範囲から投稿が寄せられるようになったものの、その内容は次第に社会活動の報告が減り詩の比率が増えていき、同人たちの関心も中央での社会主義者の勢力争いに向けられる中で、投稿欄の中からも地方欄が消え誌面の活気も失われていくのである。「地方欄」が廃止されたのは1923年(大正12年)1月号(第3巻第15号)のことであった。
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