国外生活とは? わかりやすく解説

国外生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:22 UTC 版)

セルゲイ・プロコフィエフ」の記事における「国外生活」の解説

エンジェル島入国管理官の審査から解放されて、1918年8月11日サンフランシスコ到着すると、プロコフィエフ間もなくセルゲイ・ラフマニノフら、著名なロシアからの亡命者比較されるうになるデビュー飾ったニューヨークでソロ・コンサートはいくつかの契約結び付いた。またシカゴオペラ協会英語版)の音楽監督であったクレオフォンテ・カンパニーニ(英語版)との間に、新作オペラ3つのオレンジへの恋の上演を行うという契約結んだ。しかしカンパニーニが病に倒れて他界し初演延期となる。この延期オペラまつわるプロコフィエフ不運のひとつであった。このオペラには多く時間労力注がれていたため、この失敗彼のソリストとしてキャリア犠牲にした。気づけばたちまち経済的困窮に陥っており、1920年4月には失敗してロシア戻りたくないと、パリへ向かって旅立っていた。 パリではディアギレフバレエ・リュスとの間で契約再確認した。また、ピアノ協奏曲第3番などの未完成のままになっていた旧作完成させた。『3つのオレンジへの恋』は最終的に1921年12月30日シカゴ作曲者自身指揮により初演されることになったディアギレフはこのオペラ興味示し1922年6月プロコフィエフピアノ伴奏版を演奏するように依頼する。この時には2人とも道化師再演のためにパリにいたため、プロコフィエフ上演可能性について考えられるようになった。しかし、オーディションの場にいたストラヴィンスキーは1幕より後を聴くのを拒否してしまった。「オペラ作曲して時間浪費している」という彼の非難対しプロコフィエフストラヴィンスキーは「自身誤り対す耐性がないのだから、芸術常道主張できる立場にない」とやり返した。プロコフィエフによればストラヴィンスキーは「怒り心頭発し」て「殴り合い発展しそうだった我々は辛くも離れることができた」という。その結果、「我々の関係は張りつめたものとなり、数年間にわたってストラヴィンスキーは私に批判的な態度取った。」 1922年3月には母とともにバイエルンアルプス山あいにある小村エッタル(英語版)に移り住み1年以上の期間を費やしワレリー・ブリューソフ同名小説英語版)に基づくオペラ炎の天使』に集中したこの頃になるとプロコフィエフ音楽ロシア国内ファン獲得しており、帰国誘いも受けるようになっていたが、彼はヨーロッパ残留決意する1923年にはスペイン人歌手であるカロリナ・コディナ(1897年-1989年Lina Lluberaとして活動)と結婚その後パリへ戻ったパリでは交響曲第2番などの複数の作品演奏されたが反応は熱のこもらないもので、プロコフィエフ自分が「どうやらもはや大きな評判にはならない」と感じ取るうになる。それでもこの交響曲を耳にしたことでディアギレフバレエ鋼鉄の歩み』を委嘱することになったとみられるソ連工業化描写することを意図したモダニストバレエ作品であった本作は、パリ聴衆評論家から熱狂的に迎えられることとなった1924年頃、プロコフィエフクリスチャン・サイエンス招かれた。彼は健康と気性荒さ役に立つ信じてその教え実践するようになった伝記作家サイモン・モリソンによればその後生涯通じて教え忠実であり続けたという。 プロコフィエフストラヴィンスキー友好関係回復する。しかし、プロコフィエフ当時新作であった八重奏曲ピアノと管楽器のための協奏曲みられるようにストラヴィンスキーが「バッハ様式化すること」を特に毛嫌いしていた。ストラヴィンスキーの側では、プロコフィエフ現代最高のロシア作曲家であり、自分に続く者であると評していた。

※この「国外生活」の解説は、「セルゲイ・プロコフィエフ」の解説の一部です。
「国外生活」を含む「セルゲイ・プロコフィエフ」の記事については、「セルゲイ・プロコフィエフ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「国外生活」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国外生活」の関連用語

国外生活のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国外生活のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのセルゲイ・プロコフィエフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS