四輪ドライバーとして現役復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:01 UTC 版)
「青木拓磨」の記事における「四輪ドライバーとして現役復帰」の解説
事故翌年の1999年、車椅子に乗って復帰し、ホンダ・レーシング助監督に就任。また、テレビ解説や子供向けバイク教室、参加型ミニバイクレース「レン耐」のプロデュースなど、モータースポーツ普及活動に精力的に取り組む。 それでも、レーサーとしての情熱を諦めることはできず、レース中の事故で下半身不随となった元F1ドライバーのクレイ・レガッツォーニに刺激され、レース復帰を目指す。手動カート「ハンドドライブ・クロス(HDX)」で実績を積み、レガッツオーニがプロデュースしたイタリア製の身体障がい者用運転補助装置「グイドシンプレックス」を取り付けた改造車で海外ラリーに参戦。2007年、アジア・クロスカントリーラリー(タイ)に出場し総合7位、2008年は総合19位・市販車改造ディーゼルクラス優勝、2011年は総合3位の成績を残した。2009年にはダカール・ラリーに初参戦。 最初に日本自動車連盟(JAF)に競技ライセンスを申請した際には「体に50%の障がいがある人には発給できない」と断られた。その後、発給されたライセンスはジムカーナ・ラリーレイド・ダートトライアルなど単独走に限定され、他車と競争するレースには参加できなかった。これに対し、拓磨本人も手動での車両操作機構の開発を引き続き進めると共に、出場可能なナンバー付きヴィッツレースで腕前をアピール。さらに、友人である土屋武士らが中心となってJAFに働きかけを行った結果、2010年にライセンスの限定が解除され、国内のサーキットレース参戦が可能になった。14年ぶりに全日本クラスの競技に復帰し、スーパー耐久シリーズST4クラスに土屋と組んで参戦。 2013年には国際自動車連盟 (FIA) から国際競技ライセンスを発給され、現在はレーシングドライバーとしてGTアジア、アジアン・ル・マン・シリーズなど海外のレースにも出場し、「優勝」することを目標に挑戦している。2014年にル・マン24時間レース出場プロジェクトを立ち上げ、2018年にはフランスのSRT41チームより2020年のル・マン24時間レースに特別枠で出場することを発表した(2020年の新型コロナウイルス感染症の影響で計画延期)。また、未来を担う青年やハンディをもつすべての人に、「夢をあきらめない、挑戦し続けること」の素晴らしさを伝えるべく、笑顔と勇気を届けるため、全国各地で講演会や訴求活動をしている。 障がいを負って以降バイクには乗れずにいたが、2019年に治親が代表となり、障がい者ライダーを支援する「サイドスタンドプロジェクト」を設立。同年7月の鈴鹿8時間耐久ロードレースの企画「Takuma Rides Again」にて、21年ぶりにバイクに乗って鈴鹿サーキットを走行した。車両は、下半身不随でも走行できるよう改造された特別仕様のホンダ・CBR1000RRが使用された。同年10月の日本GP(ツインリンクもてぎ)では第二弾としてMotoGPマシンのレプリカ、ホンダ・RC213V-Sに乗り、青木三兄弟揃ってのデモランを行った。11月には「鈴鹿Sound of ENGINE 2019」にて、レース中の事故で下半身不随となった元世界GP500王者ウェイン・レイニーとデモランを行った。
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