噴火の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 16:38 UTC 版)
大正大噴火は溶岩1.34立方キロメートル、テフラ0.5立方キロメートル、マグマ換算では1.54立方キロメートルの噴出量と推定されている。これは20世紀の日本で噴火による噴出量が最も多かった火山活動である。鹿児島県による大正大噴火の総括報告書である「桜島大正噴火誌」によれば、大正大噴火に伴う死者行方不明者は29名、桜島地震による死者行方不明者も29名であり、計58名が広義の大正大噴火による死者行方不明者とされている。しかし「桜島大正噴火誌」に掲載されている皇室からの御救恤金のリストから推定される死者行方不明者は計71名であり、郡役所などが編纂した噴火、災害記録による死者行方不明者数も「桜島大正噴火誌」よりも多く、実際の死者行方不明者数は公式発表の58名よりも多いと考えられている。 噴火が発生した大正初期は、まだ近代的な火山観測体制が確立されてはいなかったが、科学的な観察方法が世間に知られるようになっており、1888年の磐梯山噴火の時と異なり、一般への写真機の普及も進みだしていた。その結果、噴火が鹿児島市街地の近くで起きたこともあって、地元の人々による体験談、手記、スケッチ、写真などの記録がなされた。そしてマスコミや出版業界の成長により、新聞報道や出版物等による大正大噴火の紹介も盛んに行われた。 また地質調査所の佐藤傳蔵、東京大学の大森房吉、小藤文次郎らによる専門家の調査報告のほか、地元の鹿児島でも鹿児島高等農林学校の金井眞澄、鹿児島測候所による報告など、専門教育を受けた者たちによる調査報告もなされた。中でも大森による報告は通算1年あまりによる現地調査に基づくもので、噴火に関する多くの点について検討を加えていて評価が高い。噴火時の記録の豊富さに加え、噴出物の残存状況も良いため、大正大噴火は安山岩質の火山噴火における貴重な事例とされている。 一方、鹿児島市は鹿児島大空襲により大きな被害を受け、多くの文献が焼失した。また度重なる町村合併の中で市町村が所有していた文献の散逸も起きた。地震記録に関しては、中央気象台に報告された地震調査の原本などの資料が関東大震災による火災で焼失している。このように大正大噴火に関する文献の中ですでに失われてしまったものも少なくない。 そして現存する文献の中にはお互いにその内容が食い違うものもある。また大正大噴火は1年余り継続したが、噴火に至る経緯から噴火後約1カ月半までの文献や報告は数多いものの、活動全体を俯瞰した文献に乏しく、特に活動後半の噴火の実態には不明な点が多く残されている。大森の論文を始めとする専門家による報告書においても、現地調査を行った時点の報告、分析を強調するものが多いという難点が指摘されている。
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