古事記、日本書紀
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「波多氏 (古代)」の記事における「古事記、日本書紀」の解説
祖の波多(羽田)八代宿禰は弟の巨勢小柄宿禰(こせのおからのすくね)とともに神功皇后による三韓征伐に従う。応神天皇3年(392年)には、百済の辰斯王が天皇に対して礼を失したため、弟の紀角宿禰らと共に百済に遣わされ、その無礼を詰問する。百済は辰斯王を殺して謝罪したので、八代宿禰らは阿莘王を王に擁立し帰国したという。また、17代履中天皇后である黒媛を八代宿禰の娘とする説もある。 推古天皇31年(623年)蘇我馬子が朝貢を促すことを目的に、境部雄摩侶を大将軍とする数万の軍を新羅に派遣した際、小徳の位にあった波多広庭は副将軍の一人に任ぜられている。 天武朝に制定された八色の姓では、皇族出身である52氏の一つとして朝臣姓を賜与されている。 その後日本書紀編纂に向けて、持統3年(689)6月2日、7名の一人として羽田朝臣斉(はだのあそん・むごへ)が撰善言司(よきことえらぶつかさ)に任命された。羽田斉は、持統5年(691年)、『日本書紀』の元となる先祖の墓記を上進する18人の一人にも選ばれたと推定され、『書紀』の中では『古事記』の記述の中の家祖である波多を羽田に変えてしまった(どちらも同じ一族で同じ波多郷に居た)。
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古事記・日本書紀
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(名称は『日本書紀』初出を第一とし、括弧内に『古事記』ほかを記載) 『古事記』『日本書紀』によれば、応神天皇と和珥氏(丸邇氏)祖の日触使主(ひふれのおみ、比布礼能意富美)の女 の宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売)との間に生まれた皇子である。同母妹には矢田皇女(やたのひめみこ、八田皇女/八田若郎女:仁徳天皇皇后)、雌鳥皇女(めとりのひめみこ、女鳥王)がいる。 応神天皇と仲姫命(なかつひめのみこと、中日売命)との間に生まれた大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、大雀命:仁徳天皇)は異母兄にあたる。また関連する名前の人物として、宮主宅媛の妹の小甂媛(おなべひめ、袁那弁郎女)から生まれた菟道稚郎女皇女(うじのわきいらつひめのひめみこ、宇遅能若郎女)がいる。 なお、菟道稚郎子の妻子に関して史書に記載はない。 10 崇神天皇 彦坐王 豊城入彦命 11 垂仁天皇 丹波道主命 山代之大筒木真若王 〔上毛野氏〕〔下毛野氏〕 12 景行天皇 倭姫命 迦邇米雷王 日本武尊 13 成務天皇 息長宿禰王 14 仲哀天皇 神功皇后(仲哀天皇后) 15 応神天皇 16 仁徳天皇 菟道稚郎子 稚野毛二派皇子 17 履中天皇 18 反正天皇 19 允恭天皇 意富富杼王 忍坂大中姫(允恭天皇后) 市辺押磐皇子 木梨軽皇子 20 安康天皇 21 雄略天皇 乎非王 飯豊青皇女 24 仁賢天皇 23 顕宗天皇 22 清寧天皇 春日大娘皇女(仁賢天皇后) 彦主人王 手白香皇女(継体天皇后) 25 武烈天皇 26 継体天皇 関係略系図 系図は左から右。実線は実子、点線は婚姻関係、数字は天皇即位順を表す。表記は『日本書紀』に基づく。 磐之媛命(前皇后) 仲姫命(皇后) 大鷦鷯尊(16 仁徳天皇) 高城入姫命 大山守皇子 15 応神天皇 菟道稚郎子皇子 八田皇女(後皇后) 雌鳥皇女(隼別皇子妃) 宮主宅媛 [和珥氏]日触使主 菟道稚郎女皇女 小甂媛
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